激動の昭和史 沖縄決戦

製作国 日本
製作年 1971年
公開年 1971年
時間 149分

時代背景 太平洋戦争


製作会社 東宝
監督 岡本喜八
脚本 新藤兼人
撮影 村井博
音楽 佐藤勝
出演 小林桂樹   丹波哲郎   仲代達矢
森幹太    睦五郎    佐々木勝彦
大丸二郎   玉川伊佐男  川津祐介
橋本功    長谷川弘   阿知波信介
中山豊    青野平義   田中邦衛
中谷一郎   高橋悦史   大木正司
井川比佐志  平松慎吾   東野英治郎
北龍二    藤岡重慶   山内明
阿部希郎   新田昌玄   荒木保夫
北九州男   船戸順    石山健二郎
久野征四郎  草野大悟   木村豊幸
当銀長太郎  東野孝彦   池部良
鈴木瑞穂   寺田農    佐々木孝丸
浜村純    神山繁    南風洋子
鷲尾愛里   田代真由美  加山雄三
岸田森    亀谷雅彦   大空真弓
今福正雄   天本英世   滝田裕介
佐原健二   佐藤宣丈   永島岳
勝部義夫   酒井和歌子  木村由貴子
藤田漸    熊谷敏樹   沖田駿一
渡辺隆司   高原勉    小瀬格
樋浦勉    鈴木治夫   山本清
草川直也   江角英明   園田裕之
永山一夫   原田力    大前亘
鈴木和夫   桐原史雄   山本廉
地井武男   田中一    丘ゆり子
木浦すみ江  山崎みき   大谷直子
小杉昇二   三井弘次   冨田浩太郎
浅若芳太郎  藤原釜足   辻伊万里
佐田豊    川瀬裕之   堺左千夫
近藤そや   山添久美   中真千子
小林清志(ナレーター)

[概要]
太平洋戦争末期の沖縄戦の開戦から終焉まで様々なエピソードを絡め描く。

[映画賞]

[ソフト化]
ビデオ・LD

[Goods]







レビュー人数
3人
平均点
8点
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Densuke
10点
この映画は幼いころ親に連れられて見に行き、強く印象に残った。
当時の漫画雑誌に撮影の様子などが特集されていてM4シャーマンをジープか何かをもとに作った話を読み感心した覚えがある。
しかし住民の集団自決、戦車に轢かれる兵士など、小学?年生には強烈すぎたと思う。
この時からだろうか、沖縄と聞くとあの沖縄戦をまず思い浮かべるようになった。
これは今でも変わらない。

昔から、ひめゆり部隊の話の映画化は繰り返されてきたし、「沖縄決戦」でも重要な部分を占めている。
だが他の「ひめゆり」が題名に入った映画とは異なり沖縄戦の開始前から終焉までを岡本喜八監督らしい演出でやや淡々と描くことで沖縄戦の全貌を明らかにしている。

その演出はドキュメンタリータッチと言える。
数多くのエピソードをちりばめているせいもあるがシーンの切り替わりはやや唐突でぶつ切りの感もある。
が、これも岡本監督ならではのタッチだ。

特撮のシーンはやはり日本映画、物足りない。 爆撃、飛行機からの銃撃のシーンでも空を映すことはない。
なぜなら飛行機がないからだ。
白兵のシーンも緊迫感がない。 アメリカ兵が少なすぎる。
しかし、俳優の演技には気迫がこもっている。 特に長参謀長役の丹波哲郎が良い。
八原高級参謀役の仲代達矢は相変わらずくさい演技だがはまり役ではある。

日本兵の軍装はリアリティがある。
出てくる鉄帽はすべて布のカモフラージュがついているが、紐の結びなど本物そっくりだ。
九七式手榴弾もそれらしく出来ているし、九二式の野戦用電話機などはおそらく本物が使われていると思う。

沖縄戦の実態のすべてを描いているわけではない。 日本兵の沖縄住民に対する虐待はもっとひどかったろう。
しかし、強要された住民自決、スパイ容疑者の射殺、自力で動けない傷病兵の毒殺など悲惨な事実をかなり忠実に描いている。

特撮シーン、白兵戦シーンなど貧弱さは否めないが作品の持つ重みを軽減することはないし特撮シーン云々を理由に減点などする気にならない作品だ。 従って10点。

AKIRA
7点
 「この映画はフィクションである」という主旨の字幕から始まるこの映画を、一言で言うと、まるで沖縄の戦いそのもののように混乱している。その混乱をとにかく、手際よくスピード感のある岡本監督の演出で一気に見せていくという作品であると、私はとらえた。
 混乱とは、あまりに多くの出来事を詰め込みすぎたということもあるが、シークエンスごとの「視点」が異なることにあると思う。映画を見せる視点が、一般市民の目線であったり、軍人の目線であったりすることによる。正に軍と民間とその中間にある男女の生徒たちが、戦火の中に混然としている様とも言えないこともない。
 ほとんどのシークエンスは戦闘に巻き込まれてしまった沖縄県民、もしくは、同じような一般市民である我々の目線なのであるが、中心にあるのは、物語の進行をする者たち、つまり、沖縄軍司令部の参謀長と高級参謀の2人の姿なのである。「戦い」の物語であることから、話を進行させるのは、軍部側になるというのは理解できるのだが、岡本監督の描きたかったことは、そうではなかったのではないか、という違和感が苦く残る。
 ストーリーのよいポイントで「司令部付となる床屋のおやじ」が現れ、彼が中心に物語が進行するのかと思えばそうではなく、あくまで登場人物の1人で、彼は彼を取り巻くエピソードを演じるのみである。例えば、この「床屋のおやじ」の目を通して見た沖縄戦(司令部内も含め)となれば、かなり映画の様相は異なってきたであろうし、岡本監督の言わんとしたことが、もっと強烈に伝わったのではないかと思う。

 沖縄の戦いについては、色々と言われている。しかし、この映画を見て強く思ったことは、日本の軍隊は「何」のために戦うのだろうかということである。日本を守るため? 国民を守るため? 国益を守るため? 国体を守るため? 「何」のために沖縄の人々は犠牲になったのだろうか。多くの一般市民から成る戦死していった軍人たちも、また「何」のために戦死しなくてはいけなかったのだろうか。疑問符を残したまま死んでいく人々の無惨なエピソードが、この映画では繰り返し見せつけられる。
 2人の参謀の間でしばしば繰り返される、「突撃」か「持久戦」かという論議があるが、それはどちらも同じなのではないだろうか。
 沖縄の場合の「突撃」は、死にに行くだけである。米軍を沖縄に長く釘付けにできる、米軍により多くの出血を強いることができるという理論の「持久戦」も、結果を考えると「突撃」の戦法と、その得られるものは「死」のみであって、何ら変わりはないのである。いや逆に、一体、時間を稼ぐことで、そのときの日本には何ができたのであろうかということを考えると、長期化することで、守るべき日本の出血もより多くなるだけなのである。
 こうしたことを考えると、「何」で、「何」のために、これ以上戦わなければいけないか、ということを映画を見終わった後、強く感じる。

 それらの「何」とは、「体面」ではないかと思う。

 沖縄戦でも日本軍が繰り返し犯した「員数主義」的誤りを露呈する(これは言わば、軍内部の、軍内部に対する体面ではないだろうか)。
 ない飛行機のための飛行場を陣地より優先して作らせ、その飛行場が奪われたといっては無理な奪回をさせる。また、体面を気にして(それはあくまでも一部軍首脳の、中央に対する無意味な体面である、飛行場奪回もしかり)、無意味な「最後の」突撃を行おうとする。その上、中継で来た飛行隊を急遽特攻として突っ込ませたりもする。まったく「何」のためになのだ。
 そして、ラスト近くでは、あまりにもバリッとした軍服を着た司令官と参謀長の自決する場所を確保するために(岡本監督が2人に用意した場所は、むしろの上であったのだが)、逃げ戻って来た兵が、銃弾の中へ追い返される。司令官と参謀長の責任の取り方とは、自らのため(体面)だけであって、今まさに死にゆく沖縄の兵士や市民たちとは、全く関係のない世界の出来事なのである。

 戦争は「地位」のある者たちの体面によって起こされ、また体面を保つために、より悲惨な結末を迎える。一部の者の体面のために、突撃を繰り返す男子生徒たち、自決する女生徒たち、我が子や家族に泣きながら手をかける一般の市民たちが、そこにはいつもいるということなのだ。
 今もそれがどこがで行われていることは、辛く悲しい。

 エンドタイトル間近に出る一般市民の死亡者の数に改めて驚く。「フィクションだ」と、言わざるを得ない映画の伝える「事実」も、また大切なのである。過去に「起こったこと」を伝えていくためには、これからも上映を望む作品の1つである。

Shawshunk
7 点
 沖縄戦の全容を描くのはとても難しい。もちろんどの戦闘もそうだろうがいろんな要素が絡み合っているからだ。「遠すぎた橋」もそうだったが、視点をどこにおくか、が問題となる。この映画の視点は定まっていないように見える。大本営か、沖縄防衛隊か、沖縄県民か、県知事か、床屋か、ひめゆり部隊か。ひとつ言えることは、「破滅に向かうしかない状況」がテーマである。何をしても結局は死が確実に待っている。この絶望感を描くことが岡本喜八の視点であることには間違いない。戦闘シーンはかなりがんばっている。米軍の砲撃弾幕も「例の爆発効果」がうまく組み合わされて結構恐怖感を感じる。(ただ効果音がウルトラシリーズのものと同じ?)兵士の演技は「絶叫・身もだえ・キリキリ舞い」という日本映画伝統のものだが状況が状況だけに不自然さを感じない。ただ、38式歩兵銃のボルトを一度くらいは引いて排夾して欲しかった。シャーマンとM41はそれなりの迫力。(あの対戦車砲=速射砲は何でしょうか?)98式臼砲は出色の出来。実際に火薬を使って飛ばしてみせるのには驚き。米軍のトンプソンの電着射撃では俳優が銃を動かしすぎ。米軍の素顔は全く描かれず、好意的にとれば米軍に対する恐怖感を表しているとも言える。(米兵を演じているのは日本人なのかも?)義 烈空挺隊の戦いは初めて見たが、悲惨の一言。これだけで映画がもう一本できそう。
 それにしても如何に負け戦とはいえ、国民をここまで犠牲にする国家があっただろうか?国家=国民という大原則がすっ飛んでいる。大本営の無能ぶりはそのまま現在の政治の貧困と重なる。これは「棄民」だ。戦後も「棄民」は形を変えて脈々と続いていることを強く感じさせる意味でこの映画は大変貴重であり、もっと多くの人々(特に若い世代)に見られるべき映画であると思う。