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| 平均点 |
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| Densuke |
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| この映画は幼いころ親に連れられて見に行き、強く印象に残った。 当時の漫画雑誌に撮影の様子などが特集されていてM4シャーマンをジープか何かをもとに作った話を読み感心した覚えがある。 しかし住民の集団自決、戦車に轢かれる兵士など、小学?年生には強烈すぎたと思う。 この時からだろうか、沖縄と聞くとあの沖縄戦をまず思い浮かべるようになった。 これは今でも変わらない。 昔から、ひめゆり部隊の話の映画化は繰り返されてきたし、「沖縄決戦」でも重要な部分を占めている。 特撮のシーンはやはり日本映画、物足りない。 爆撃、飛行機からの銃撃のシーンでも空を映すことはない。 日本兵の軍装はリアリティがある。 沖縄戦の実態のすべてを描いているわけではない。 日本兵の沖縄住民に対する虐待はもっとひどかったろう。 特撮シーン、白兵戦シーンなど貧弱さは否めないが作品の持つ重みを軽減することはないし特撮シーン云々を理由に減点などする気にならない作品だ。 従って10点。 |
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| AKIRA |
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| 「この映画はフィクションである」という主旨の字幕から始まるこの映画を、一言で言うと、まるで沖縄の戦いそのもののように混乱している。その混乱をとにかく、手際よくスピード感のある岡本監督の演出で一気に見せていくという作品であると、私はとらえた。 混乱とは、あまりに多くの出来事を詰め込みすぎたということもあるが、シークエンスごとの「視点」が異なることにあると思う。映画を見せる視点が、一般市民の目線であったり、軍人の目線であったりすることによる。正に軍と民間とその中間にある男女の生徒たちが、戦火の中に混然としている様とも言えないこともない。 ほとんどのシークエンスは戦闘に巻き込まれてしまった沖縄県民、もしくは、同じような一般市民である我々の目線なのであるが、中心にあるのは、物語の進行をする者たち、つまり、沖縄軍司令部の参謀長と高級参謀の2人の姿なのである。「戦い」の物語であることから、話を進行させるのは、軍部側になるというのは理解できるのだが、岡本監督の描きたかったことは、そうではなかったのではないか、という違和感が苦く残る。 ストーリーのよいポイントで「司令部付となる床屋のおやじ」が現れ、彼が中心に物語が進行するのかと思えばそうではなく、あくまで登場人物の1人で、彼は彼を取り巻くエピソードを演じるのみである。例えば、この「床屋のおやじ」の目を通して見た沖縄戦(司令部内も含め)となれば、かなり映画の様相は異なってきたであろうし、岡本監督の言わんとしたことが、もっと強烈に伝わったのではないかと思う。 沖縄の戦いについては、色々と言われている。しかし、この映画を見て強く思ったことは、日本の軍隊は「何」のために戦うのだろうかということである。日本を守るため? 国民を守るため? 国益を守るため? 国体を守るため? 「何」のために沖縄の人々は犠牲になったのだろうか。多くの一般市民から成る戦死していった軍人たちも、また「何」のために戦死しなくてはいけなかったのだろうか。疑問符を残したまま死んでいく人々の無惨なエピソードが、この映画では繰り返し見せつけられる。 それらの「何」とは、「体面」ではないかと思う。 沖縄戦でも日本軍が繰り返し犯した「員数主義」的誤りを露呈する(これは言わば、軍内部の、軍内部に対する体面ではないだろうか)。 戦争は「地位」のある者たちの体面によって起こされ、また体面を保つために、より悲惨な結末を迎える。一部の者の体面のために、突撃を繰り返す男子生徒たち、自決する女生徒たち、我が子や家族に泣きながら手をかける一般の市民たちが、そこにはいつもいるということなのだ。 エンドタイトル間近に出る一般市民の死亡者の数に改めて驚く。「フィクションだ」と、言わざるを得ない映画の伝える「事実」も、また大切なのである。過去に「起こったこと」を伝えていくためには、これからも上映を望む作品の1つである。 |
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| Shawshunk |
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| 沖縄戦の全容を描くのはとても難しい。もちろんどの戦闘もそうだろうがいろんな要素が絡み合っているからだ。「遠すぎた橋」もそうだったが、視点をどこにおくか、が問題となる。この映画の視点は定まっていないように見える。大本営か、沖縄防衛隊か、沖縄県民か、県知事か、床屋か、ひめゆり部隊か。ひとつ言えることは、「破滅に向かうしかない状況」がテーマである。何をしても結局は死が確実に待っている。この絶望感を描くことが岡本喜八の視点であることには間違いない。戦闘シーンはかなりがんばっている。米軍の砲撃弾幕も「例の爆発効果」がうまく組み合わされて結構恐怖感を感じる。(ただ効果音がウルトラシリーズのものと同じ?)兵士の演技は「絶叫・身もだえ・キリキリ舞い」という日本映画伝統のものだが状況が状況だけに不自然さを感じない。ただ、38式歩兵銃のボルトを一度くらいは引いて排夾して欲しかった。シャーマンとM41はそれなりの迫力。(あの対戦車砲=速射砲は何でしょうか?)98式臼砲は出色の出来。実際に火薬を使って飛ばしてみせるのには驚き。米軍のトンプソンの電着射撃では俳優が銃を動かしすぎ。米軍の素顔は全く描かれず、好意的にとれば米軍に対する恐怖感を表しているとも言える。(米兵を演じているのは日本人なのかも?)義 烈空挺隊の戦いは初めて見たが、悲惨の一言。これだけで映画がもう一本できそう。 それにしても如何に負け戦とはいえ、国民をここまで犠牲にする国家があっただろうか?国家=国民という大原則がすっ飛んでいる。大本営の無能ぶりはそのまま現在の政治の貧困と重なる。これは「棄民」だ。戦後も「棄民」は形を変えて脈々と続いていることを強く感じさせる意味でこの映画は大変貴重であり、もっと多くの人々(特に若い世代)に見られるべき映画であると思う。 |
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