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シン・レッド・ライン The Thin Red Line |
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| [概要] 太平洋戦争の激戦地ガダルカナル島を舞台に米兵の人間模様を描く。「大突撃」の再映画化。 [関連作品] |
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| [映画賞] ベルリン国際映画祭(1999) 金熊賞 NY批評家協会賞(1998) |
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| [ソフト化] ビデオ・LD・DVD |
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| [Goods] チラシ |
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| レビュー人数 |
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| 平均点 |
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| VC |
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| ああようやくこの映画のレビューが打てる。 この映画は去年の8月、「プライベート・ライアン」を見ての悪い映画を見ちまったんだ。」と、僕は不機嫌になって映画館を出ました。 去年のニュースで「スピルバーグが第二次世界大戦の映画を作っております。」とアナウンサーが喋っていたのを聞き、楽しみして見に言った結果が、これでした。 今度は、「テレンス・マーリックが二十年ぶりに映画を作っております。」と知り今年の正月、今度はどうだろうと思い。劇場まで行きました。劇場で待っていたのは、僕の中で「プラトーン」をこえた戦争映画でした。 オープニングで、脱走兵の主役が島の土民の子供達と楽しそう泳ぎ、踊り、歌う姿、「こんなに綺麗な海と空の下で両軍は血を流し合ったんだ。」としばし画面に見とれました。やがて「ガ島」に上陸し、道無きジャングルを、海兵達は進んで行く。ベトナム戦争映画のような緊迫感がありました。昇進をあせる老中佐は「ムカデ高地」高地に突撃命令をだし、日本軍のトーチカが何処にあるのか見当もつかないのに無茶苦茶に砲撃し、機関銃にバタバタ倒されて逝く米兵達、仲間が死ぬのを見て、戦意喪失して逃げ出す。 兵隊達、やがて高地を占領し、仲間の恨みだとばかりに、日本兵の頭を殴打して撲殺する米兵。同じ日本人の視点から言わせれば、彼らも自分達が死にたくない為、向かって来る米兵達を射殺したまでだと思いました。捕虜達は念仏を唱えるもの、戦友の死を悲しみ号泣するもの、見ていて目頭があつくなりました。 ジャングルに進軍した海兵達は着剣し、敵の陣地を総攻撃するこのシーン、両軍入り乱れ、目の前の敵を刺殺する者、銃殺する者、撲殺する者、気が狂う者、「プラトーン」のような生々しい戦闘でした。 一番印象に残ったのは、一人の日本兵が戦場のど真ん中で「やめろー。」と声の張りさけんばかりに両軍に向かって叫ぶシーンでした。 戦闘後に、陣地に火をつけ立ち去る米軍達、その中の竹で作った風鈴がありましたが日本兵が遠い祖国思い。作ったのだろうかと思いました。 生死をかけた戦闘がおわっても「ヘンダーソン飛行場」には砲弾がふり、逃げ惑う米兵達、戦いは終わらずに続き、主役も土民の人々にも軽蔑された目で見られ、自分の妻からも一方的に離婚され、過ぎ去った時は二度と戻らないものだと思いました。 主役も死に、消耗品であり駒でもある補充兵は続々とやってくる。 ラストシーンは上陸用舟艇で輸送船に向かい、兵隊達は休暇を与えられる。 一体誰が正義で誰が悪なのか問うように、動植物が映され物語は終わる。 この映画が成功した原因は有名俳優は脇役、二番手の俳優が主役とした事が成功したんだと思います。 誰も目立った俳優がいなかったのが成功したんだと思います。 作風的に主人公の独白やジャングルに潜む敵が何処にいるのか分からない緊張感などが「地獄の黙示録」に似ている気がします。今まで見たアメリカのどの映画よりも感動でき、面白い映画でした。 |
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| 大倉 里司 |
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| 賛否両論、確実に観る人を選ぶ映画です。『プライベート・ライアン』が100人中80人を感涙にむせび泣かせる作品だとしたら、この作品は100人観たら90人迄は、「一体何を描こうとしているのか?」とか…… 「難解であり、焦点が定まらない」と言う評価も散々聞いて参りましたし、ぼくもそれは、正当な評価だと思っております。 ただ、ぼくにとりまして、もはや………「映画」であって、「映画」では無い存在なんですね。此れほどの「魂」を感じた存在は他には在りません。 他の映画だったら………具体的にどのシーンが素晴らしいと書けるのですが、この作品だけは書けないのです。何故ならば本当に全部が全部素晴らしく………恐るべきことに観る度に感想が変わってしまう万華鏡の様な存在。視覚的には万華鏡ですが、映画全体としては曼荼羅に一番近い存在でしょう。 この映画には全てか含有されていて、途轍も無い光を放っている………善も悪も………慈悲も無情も………生も死も………全ての対立する要素を呑み込み、ウィット二等兵とウェルシュ曹長と言う……二つの違った道を指し示す。ですが………それはどちらも間違っては居ない。どちらも正しくそして一つの大きな魂がそれを受け入れる物語なんですね。 思想的な見方だけを書いて参りましたが、戦争映画としてもキチンと成立しておりますが、それは他の方々が書いて下さるでしょう……… 僕的には、名も無く死んで、そして生き残った普通の兵士の代表としてドール二等兵を出したのが秀逸だと感じております。 彼の持つ倫理感はごく一般的なものですが、それだけにウィット君のヴォイス・オーバーとは違った味わいがあって、「ドールくん箴言集」として活用させて頂いております。 |
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| Densuke |
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| 原作を先に読んだため、始めはどうしても原作のエピソードと一致する、しないが気になった。しかしこの映画はテレンス・マリック監督個人の感性を前面に出した全く私的な映画であって、原作はあくまでベースにすぎないという気がする。
公開時機が悪かったため、とかくプライベート・ライアンと比較され、ちょっとかわいそうだが本来、大衆受けをねらった映画と監督個人の私的映画を同じ土俵で語るのは無理がある。 正気と狂気、生と死、戦争と平和、自然と人、これらを分ける赤く細い線。 日本兵の描写は恐らく当時の記録フィルムを研究したのだろう。 装備類の考証は非常に良く出来ている。 日本軍の九六あるいは九九式軽機関銃、九二式重機関銃は圧巻だ。 特に九二式重機の発射音とその映像には感心した。 米軍からキツツキと呼ばれたその音がはっきり聴ける。 しかし気になる点もある。 採点は、諸々考慮して9.5点にします。 |
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| UKE |
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| 公開前から、「The Thin Red Line」に関する噂は聞いていた。"ガダルカナル争奪戦がテーマ"、"哲学的"、"長期ロケによる美しい自然の映像"等々であった。これを聴いて、久しぶりに重厚な戦争映画を見ることが出来ると、私の期待は膨らむばかりであった。そして映画は、実際、期待をしただけの価値があったと、なんの呵責も無く言いきれるだけの素晴らしいものだった。
ただ、私は、"ガダルカナル戦"、"哲学的"という言葉から、映画とは違った展開を予測していた。史実では、アメリカ軍が、飛行場建設のためのわずかな設営部隊しかないガダルカナル島の日本軍を容易に掃討し、その後、ガ島の奪回を計ろうとする日本軍の再上陸部隊と、米軍守備部隊との間に激闘が発生するといった経過であったように思う。そのため、映画は、"米軍守備陣地に突撃して玉砕を繰り返す日本軍"という流れの中で、アメリカ兵が“なんで俺達はこんなにも日本兵を殺さなければならないのか?”と"哲学的"に苦悩するというストーリーで展開するのだろうと単純に思いこんでいた。実際のシン・レッド・ラインは、私の勝手な予測とは攻守を逆にしていたが、史実でもそんな局面があったのであろうと思うと、もう一度、ガ島関係の本を読んでみたくなった。 映画は、自然界の美しい映像を随所に挟みながらストーリーが展開する。上陸用舟艇で上陸する米兵/激化する戦闘/反目し会う上官/トーチカで捕虜になる痩せこけた日本兵/日本軍陣地での白兵戦/言葉の断絶により射殺される米兵/何事も無かったように新たにやってくる補充兵・・・。目まぐるしく変化する戦況の中で、多くの意味深い言葉が交わされ、価値の攻めぎ合いが起こる。そして、それら出来事の背後で常に変わることなく、美しく、時には厳しい自然界の風景。映画を見終わったあとに残るのは、衝撃的な個々のシーンの残像と、圧倒的な無常観であった。 "シン・レッド・ライン"とは、"細く赤い線"の意であり、生/死、善/悪、敵/味方、といった二項対立で捉えられている価値全ての境界線である。"細い"というところからは、境界線は越境しやすいとも言っている様にもとれるし、"赤い"というところは、境界線の断絶の深さを表しているようにも思える。映画でも、明かな善玉、悪玉は登場せず、戦争という過酷な環境の中で取るべき道を模索する男達の姿がただありのままに捉えられていた。そして、ガダルカナルから去ったあと、個々の男達はちりじりになリ、戦争の記憶を引きずりながら、それぞれの余生を送っていくのであろう(と思う)。一人の人間は、結局一つの価値観以上のものを背負う事は出来なかったのかもしれない。しかし、同時に、映画全体からは、そんな合い入れないものを、それでも包含しようとする、"何か"を探ろうとする意思のようなものも感じ取れた。それは、全ての価値が生まれる根源である一つの圧倒的な"自然"の映像がそう思わせたのかもしれない。 テレンス・マリックは、ガダルカナル攻防戦をテーマに描きながらも、有史以来の全ての争いに通じる普遍的な問題に切りこんだ傑作を作り上げた。私は、今後必ず原作を読むであろうし、映画自体も繰り返し鑑賞し、そのたびに異なる感想を抱く事であろうと思う。本当に、"シン・レッド・ライン"は久しぶりに"いい映画を見た!"と心の底からいえる、静謐な良き映画であった。 (個人的には10点満点なのですが、"純粋な戦争映画"というよりも、"戦争という極限状態を用いた思索映画"といった色彩が強かったように思うので、0.5点を引いておきました。) |
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| Hawkeye |
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| テレンス・マリック監督はジェームス・ジョーンズの傑作戦争文学を素材に、自らの感性で、息を呑む映像美とリアリティーにより過酷な戦争を表現した。 題名はワーテルローの時代、ナポレオンに対峙したイギリス軍の赤い軍服が赤い線に見えたことに由来する、最前線が近接輻輳している様をいう比喩であるらしい。 冒頭からマリックの視点は南の島の美しい自然と素朴な住民に置かれている。一転してけたたましい汽笛、兵士の装備による金属音、軍靴の音、上陸用舟艇のエンジン音、で醜い殺戮の幕を切って落とす。海岸に向けて怯えながら疾走する舟艇を前から回りこんで動的に描写するカメラ・ワークはさすがだ。船内の怯える兵士の表現も説明がましいところがなく好感がもてる。将校も下士官も徴兵された兵士達も、皆怯えている、それを表情に出すか否かの違いだけだ。そうした戦争に向かう兵士の現実をマリックも出演者もわきまえて抑えた演技で上手く表現している。 日本軍の機関銃陣地を攻撃するする戦闘シーンは圧巻である。近年の映像・音声技術の進歩は、このシーンを目覚しいばかりに迫力のあるものにし、加えて日本軍の九二式重機、九七式軽機など本物の火器がリアルさを表現している。マリックはこんな監督だったのかと思えるほど兵器の考証は細部に亘り優れていると思う。惜しむらくは、日本軍の軍服と戦闘帽がだいぶお粗末な点だが、許容範囲であろう。 この映画にはマリックに憧れる多くのハリウッド有名俳優が参加しているが、マリックは誰も主人公扱いせず、ウィット二等兵役の無名に等しいジム・カヴィーゼルを主役級として扱い、ジョーンズのというよりマリックの思いを表現させようと試みていると思う。私も戦争映画に有名俳優の主人公は不要との持論を持つので、マリックの手法は大歓迎だ。 しかし、マリック自身が出演を指名要請したのは誰だったのかということには非常に興味がある。ブラピもデカプリオも出演したがったというから、興行的には端役で出してやればよかったのに(笑)。 最後にアカデミー賞にはあまり興味がないが、この作品は難解な映画ではあるが、何一つ受賞しなかった事について、同賞の権威を更に貶めたと考えるのは私だけだろうか。 |
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| Shawshunk |
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| やっと観ました、「シン・レッド・ライン」。こんな骨太で気合いの入った戦争映画が見れて幸福感に浸ることができた。まず、俳優の演技する枠がしっかり確保されているところがすばらしい。テーマは「人間の存在とそのあり方」というところだろう。それを表現する手段として「戦争」が取り上げられている、そんな印象だ。テレンス・マリックの映画は初めてみた。所々やや「芸術」クサイところもあるが、全体の押さえたトーンはなかなかのものだ。前半の丘奪取戦では、風に草が揺れる丘のショットが印象的だ。深読みをすれば、あれは日本=アジアの得体の知れなさ、のメタファーではないか。理解を超えたものに向かってゆく恐怖、そんなものを強く感じさせる。戦闘シーンはすばらしいの一言。やや単調の気味で、物量も少ないが巧みな演出で緊迫感十分。特にトーチカ攻略のディテイルは白眉。カット割りが有機的で、お見事。(今回は誉めすぎ?)3年式重機の緩慢な作動音、軽機関銃の連射等、誠に貴重。ガーランドには、やはりボルトアクションじゃ勝てません。 たびたびでてくる「空」のカット。これは虚しさと「空」から観た人間の姿ではないか。 ニック・ノルティ兄貴の久々の姿。生臭い人間像。ジョン・サベージの狂言回し。俳優陣もいい。 ただ、日本人捕虜の描写はやりすぎ。もっと淡々としているはずである。後半の日本軍拠点急襲はベトナム映画のようだ。燃える家屋なんか特に。この場面はやや残念。細かな点はあるが、傑作中の傑作。SPRとはまた別格。採点は9点。 |
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| mimi |
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| 戦争映画として見るか、一大抒情詩として見るか。 あまりに感傷的で戦争映画としての好き嫌いはあるかもしれないけど。 リリックな映像表現にはただただ感動。 冒頭一緒に水遊びをした子供たちが、戦火にまきこまれ再び訪れたときには 遠まきにして誰ひとり近寄ってこない・・・こんな悲しい戦争の現実。 美しい南の島を砲火で焼き尽くして去っていく。なんと残酷なのか。 余談だが日本兵役に日本人キャストを多数起用したことで、ハリウッドの日系俳優組合から監督および製作会社に「自分たちに出演チャンスを与えないのは許し難い差別行為!」と、猛抗議があったそうな。 あれはあれで自然で良かったと思うのだが・・・ |
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| 赤男爵 |
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| 極めて哲学的、難解な映画。映画全体のみならず、同じシーンやセリフについても賛否両論あるけれど、高く評価する賛成派は全体の1割と見る。そのうち本作を十分理解(特に史実と比較して)した上での賛成派は恐らく全体の1%にも満たないのではないだろうか。対する反対派9割のうちの少数が理解した上で反対派にまわり、残る大多数は理解できないのでやっぱり反対というところだろう。 赤男爵は理解度の自己査定は半分として、戦争映画としての本作に賛意は表しかね る。最大の理由は、赤男爵が考えている戦争映画の枠組を逸脱していること。(これを『超越している』として称賛するのは各自の自由、前提条件の相違なのであって、それを否定するものではありません。)ガダルカナル島での日米間の熾烈な戦いを描いてはいるものの、航空基地の設営とその阻止と奪取、さらにそれを奪還するという日米両軍のミッションが下敷きとなっているのだがそれが明確に描かれていない。描いているのは只々時代設定と舞台を借りただけの大規模な殺し合い、人間の相変わらず醜い権力志向、そして他にはあまり例を見ないその対極に位置付けられた逃避の対象世界となる無垢な原住民社会と美しすぎる自然界。兵士一人一人の悩みから搾り出される悲しみの涙、叫び声、流れる血、どれをとっても架空世界での大袈裟な芝居でしかないことは日本軍の兵士(初めに登場する守備隊と増援部隊の両方)を見れば一目瞭然。いくら軍装はじめとして考証に正確を期したとしても描くべきものがこれでは評価すべき戦争映画にはならない。 では反戦映画かというとそうではなさそうだ。バックに流れる兵士のモノローグのかずかず。反省と自己弁護、懺悔と免罪、すなわち実際に彼らがやっている殺戮を神の言葉を振りかざすことをもって正当化してしまう。観客は、ああ兵士達は悩んだ挙句に仕方なく相手を殺しているんだな、と納得し、逆に日本軍が取り囲んだJカビーゼルを一発で射殺することには反発と憤りを感じるのである。これはなにやら近年アメリカが他の国々に対して行ってきていることに酷似していないだろうか。本作はそれに反対する立場を唱えてはいない。だから反戦映画として高く評価するのは当を得ていない。終わりの部分で新しい部隊長Gグルーニーが隊員を前に語りかけるシーン。 部隊を家族にたとえ、自分は親父、曹長は母親、そして部下は息子たちだという言葉もNノルティの唾棄すべき言動を見せつけられたあとでは虚ろに響く。それともこれが部下思いの前部隊長と同じくそうあるべき本当の姿だということなのだろうか。であるならば反戦映画どころか戦争肯定映画となる。 題名の細い赤い線は自軍の前線を表示する線という説に対して、狂気と正常、あるいは戦争と平和との間に存在する大きな段差を示すものだという。ではこの映画での正常な平和とは何か。故郷に残してきた妻だろうか?彼女は空軍大尉と結婚するから離婚してくれと手紙に書いてきた。狂気の戦場よりはるかに辛い生き地獄の責め苦である。Jカビーゼルが脱走した先の原住民部落だろうか?確かに楽園かもしれないが、それはGDPゼロの社会、アメリカ人には逆行できない原始の世界でしかない。もはや正常や平和そのものが存在しないということになってしまう。 最後に映像表現について。渡ってゆく風に一斉になびく草原の波、子供らの遊ぶ海中の揺れ、竹と竹が擦れ合って奏でる共鳴音。手で触れることができるような感触までを描いた映像美という観点からは納得いく素晴らしい画像の数々が上げられる。うろ覚えだが、この監督は日没前後数時間の最も美しい時間帯にしか撮らないという話を聞いたことがある。ほぼ真横から太陽光が差し込んだ(多分白人俳優たちにとっては眩しさがきつかっただろう)あとのためか、表情がより自然になる。だが本作では明らかにその時間帯以外の陽光が垂直に射す映像もあったし、何らかの加工手段によると思われるその時間帯に似せた映像も何箇所か見受けられた。それらは美しい映像自体にマイナスとなるものではないが、いずれにせよ戦争映画の本質的価値を高めるものとは関係のない要素である。 ということで、戦争を題材とした映画としての高い評価を否定はしないが、戦争映画とみなすことはできず、戦争映画としての評価はほぼゼロに近いところ、映像に1点をつけるのみ。 |
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