東宝(1967年)
作品時間158分
製作
藤本真澄/田中友幸
監督
岡本喜八
脚本
橋本忍
原作
大宅壮一
撮影
村井博
音楽
佐藤勝
出演
宮口精二/戸浦六宏/笠智衆/山村聡/三船敏郎/小杉義男/志村喬/高橋悦史/井上孝雄/中丸忠雄
黒沢年男/吉頂寺晃/山田晴生/香川良介/明石潮/玉川伊佐男/二本柳寛/武内亨/加藤武/川辺久造
江原達怡/三井弘次/土屋嘉男/島田正吾/伊藤雄之助/青野平義/児玉清/浜田寅彦/袋正/小林桂樹
中谷一郎/若宮忠三郎/ 山本廉/森幹太/伊吹徹/久野征四郎/小川安三/田島義文/森野五郎/加東大介
石田茂樹/田崎潤/平田昭彦/中村伸郎/竜岡晋/北龍二/野村明司/藤木悠/北村和夫/村上冬樹
北沢彪/岩谷壮/今福正雄/天本英世/神山繁/浜村純/小瀬格/佐藤允/久保明/草川直也/石山健二郎
滝恵一/藤田進/田中浩/佐田豊/上田忠好/勝部演之/加山雄三/新珠三千代/宮部昭夫/関口銀三
関田裕/井川比佐志/須田準之助/小泉博/大友伸/堺左千夫
[ストーリー]
戦局が次第に不利になってきた日本に無条件降伏を求める米、英、中のポツダム宣言が、海外放送で傍受されたのは昭和二十年七月二十六日午前六時である。直ちに翌二十七日、鈴木総理大臣官邸で緊急閣議が開かれた。その後、八月六日広島に原爆が投下され、八日にはソ連が参戦、日本の敗北は決定的な様相を呈していたのであった。第一回御前会議において天皇陸下が戦争終結を望まれ八月十日、政府は天皇の大権に変更がないことを条件にポツダム宣言を受諾する旨、中立国のスイス、スウェーデンの日本公使に通知した。十二日、連合国側からの回答があったが、天皇の地位に関しての条項にSubject toとあるのが隷属か制限の意味かで、政府首脳の間に大論争が行なわれ、阿南陸相はこの文章ではポツダム宣言は受諾出来ないと反対した。しかし、八月十四日の特別御前会議で、天皇は終戦を決意され、ここに正式にポツダム宣言受諾が決ったのであった。この間、終戦反対派の陸軍青年将校はクーデター計画を練っていたが、阿南陸相は御聖断が下った上は、それに従うべきであると悟した。一方、終戦処理のために十四日午後一時、閣議が開かれ、陸下の終戦詔書を宮内省で録音し八月十五日正午、全国にラジオ放送することが決った。午後十一時五十分、天皇陛下の録音は宮内省二階の御政務室で行われた。同じ頃、クーデター計画を押し進めている畑中少佐は近衛師団長森中将を説得していた。一方厚木三○二航空隊の司令小薗海軍大佐は徹底抗戦を部下に命令し、また東京警備軍横浜警備隊長佐々木大尉も一個大隊を動かして首相や重臣を襲って降伏を阻止しようと計画していた。降伏に反対するグループは、バラバラに動いていた。そんな騒ぎの中で八月十五日午前零時、房総沖の敵機動部隊に攻撃を加えた中野少将は、少しも終戦を知らなかった。その頃、畑中少佐は蹶起に反対した森師団長を射殺、玉音放送を中止すべく、その録音盤を奪おうと捜査を開始し、宮城の占領と東京放送の占拠を企てたのである。しかし東部軍司令官田中大将は、このクーデターの鎮圧にあたり、畑中の意図を挫いたのであった。玉音放送の録音盤は徳川侍従の手によって皇后官事務官の軽金庫に納められていた。午前四時半、佐々木大尉の率いる一隊は首相官邸、平沼枢密院議長邸を襲って放火し、五時半には阿南陸相が遺書を残して壮烈な自刃を遂げるなど、終戦を迎えた日本は、歴史の転換に伴う数々の出来事の渦中にあったのである。そして、日本の敗戦を告げる玉音放送の予告が電波に乗ったのは、八月十五日午前七時二十一分のことであった。
LD/ビデオ 東宝
![]()
| レビュー人数 |
|
| 平均点 |
|
| 荒馬大介 |
|
| 岡本喜八監督はこの作品について「大分鬱屈がたまった」という。 この話の本筋を占めているのは上層部の人間のドラマだが、監督自身は過去に徴兵にあっている。監督が唯一やりたかったのは、ラストの「戦死者の数」を字幕で出すことだったというが、しかしポツダム宣言受諾と同じ頃に飛び立っていった戦闘機隊というシーンというのも、監督が言いたかったことではないのか……と思う。だとしてもあの重厚さを演出してしまうのはさすがである。 天皇の描き方も上手く工夫してあり、画面構成の一部として見ていられる。声は松本幸四郎が担当したと聞いたが、かなり似ている。そして反乱を(と思っていたかどうかは別として)起こした将校たち。中丸忠雄の冷徹な感じも凄いが、インパクトが大きいのは黒沢年男だろう。 その他書ききれないぐらいにオールスターが出演しているのにも関わらず、ここまでまとめあげてしまう岡本監督はやはり素晴らしい。出来ることなら、レビューで『肉弾』も取り上げていただきたいです。 |
|
![]()
| 独立愚連隊 |
|
| 東宝創立35周年記念オールスター映画 洋題名/The Emperor and A General 8月15日の1日を扱った映画やTVドラマはこれ以外にもありますが、次々発生する出来事を時間の経過とともに息詰まる展開として見せてくれるものは、この映画をおいて他にないでしょう。 当時の東宝は独立愚連隊シリーズや怪獣映画での自衛隊=これも広義の戦争映画かも=などで,メロドラマの松竹、アクション・文藝モノの日活、時代劇の東映、よりも戦争映画では1歩リードしていました。(大映は戦争映画の実績有り) とあいまって、秀逸な作品に仕上がっています。なんといってもその重厚なるキャスティングが注目です。一々挙げるまでも無く、まさにオールスターキャスト!三橋達也、夏木陽介、宝田明 以外の東宝主演クラスはすべて出演しているのではないでしょうか。 脇役の 日本映画のいいところは、無名に近い俳優まで確認できるところと、字幕や吹き替えでは伝わらないニュアンスを感じとることができることの二点です。 では、疑問点を少々 ◆内閣情報局総裁(志村喬)他を近衛兵が車ごと拉致するところで、「バックしろ、バックだ!」と衛兵が叫ぶシーンが登場します。英語は敵性語として、日常会話としては使用されなかったはずです。ギアは変速機、ハンドルは伝播機?、と言われていたことを考えると果たして当時そのような呼び方が一般的であったのか? また「内閣情報局総裁」といえば今日の官房長官で、国務大臣相当なのですが、いくら血気にはやるとは言え、衛兵所の下級兵士までがその人を軽々に扱い、命令口調で臨むというのはどうなのでしょうか? ◆東部軍司令部から、不破参謀(土屋嘉男)と板垣参謀(伊吹徹)が状況視察の為、近衛師団司令部に出向き、師団参謀石原少佐(久保明)と対峙したのち師団長室に入ろうとして歩哨2名に入室を拒絶されます。 しかし、その歩哨は近衛師団所属の兵士のはずで、森師団長(島田正吾)が殺害された、と知ったらあのような態度−あくまで石原少佐の命令に従う姿勢−はとれないと思います。では事情は知らなかったのか?副官や当番兵は??同様に、水谷近衛師団参謀長の態度も納得できません。師団長殺害を聞いても、ただ狼狽するばかりで、東部軍に指示を仰ぐだけです。 10数年前にTVで放映された時(まだそのころは関係者の多くが現存していました)NHKの館野守男氏(劇中は加山雄三)がゲストで出演されていました。氏の言によると、陸軍省の参謀(劇中では畑中少佐)から確かに拳銃を突き付けられたが、映画のように今にも射殺されそうな状況ではなかったということでした。宮内省内部での引っ掻き回すような玉音盤捜索のシーンと合わせて、やや誇張に走ったか という気がします。むろん事実上の主人公、畑中少佐(黒沢利男)のオーヴァーな演技も同様です。陸大出の少佐にしては若すぎるのも気になる。 ドキュメンタリータッチの映画ではありますが、演出を多少差し引いて見る必要があるかもしれません。一方椎崎中佐(中丸忠雄)のクールで‘電送人間(笑)’を想起させる演技は対照的です。 とにかく、あの規模であのキャストでの日本映画では空前絶後ではないでしょうか。 |
|
![]()
| Densuke |
|
| 初めてこの映画を観たのは子どもの頃テレビで。その頃から(戦争)映画は好きだったけどその時の印象はほとんど残っていない。子どもが観て面白い映画ではなかった。
今改めて観て、その力強さに圧倒された。 これはすごい映画だ。日本が終戦に至る過程をこれほど緊迫感を持って描いた映画は希有だと思う。陸軍、海軍それぞれの対応。 相変わらず動きが鈍い組織。 その中である意味純粋な青年陸軍将校たちが現状をもどかしく思う気持ちがストレートに伝わってくる。 幾つか印象に残ったシーンを列挙すると、 終戦の詔書の内容を審議する場で三船敏郎演じる阿南陸軍大臣と山村総演じる米内海軍大臣との言い争い。負けは負けだとはっきり認めるべきだという米内に対して、阿南は、今までは南方の島々で各個の戦闘に負けただけで本当に負けたわけではない。負けたというのは補給戦に負けただけだ。 日本はまだ本格的な会戦は一度もしていない、と言う。すると米内は激昂してそれでは今までの戦いの全ては取るに足らぬ局地戦に負けただけだというのか。この期におよんでその責任を他の部署に転嫁するお積もりか、と阿南に詰め寄る。さらに米内はフィリピン、マレイ、沖縄などでの投入戦力と戦死者の数をあげるが、それを阿南がさえぎり、だからこそ日本の最後の勝利を信じて散っていった英霊を裏切らないためにも本土決戦の必要が...これも本当の話かどうか私は知らない。 陸軍と海軍の認識の違いと言ういかにも有りそうな話ではあるが、それだけに典型的すぎる。 しかしこの議論、当時の状況を考えるとどちらの考えもうなずける。 やりきれない気持ちになる。 阿南陸軍大臣の切腹シーン。まさに息を呑むシーンだった。腹を切ったら痛いだろうな... こんな当たり前の事もテレビの時代劇では感じる事はできない。しかしこのシーン、文字通り痛いほど伝わる。 三船敏郎は偉大な俳優だと思う。せりふがやや一本調子なのが難だけど、当時の役者はこんなしゃべりの人多かった。 森近衛師団長の殺害シーン。まず、そばにいた将校を黒田大尉が斬首。どうしても願いを聞き入れてくれない師団長を畑中少佐が拳銃で撃ち、黒田大尉が切る。黒田大尉が握った軍刀を右手からはずそうとするがあまりに力強く握っているので固まってはずせない。何とか柄を机に叩き付けて刀を引き抜く。 抜けた刀が机に落ちる。これら一連のシーンの流れで緊張が途切れる事はない。 黒沢年男演じる畑中少佐の拳銃自決シーン。(この拳銃は南部式じゃなくてブラウニングだった。)その前に最後の抵抗か、馬を駆ってビラを撒く。(一体こんな大量なビラを作る時間がいつあったというのか?)皇居を前にして「だーっ」と叫んで引き金を引く瞬間。 血しぶきがカメラにかかる。 (方向から言ってもこれはちょっと不自然。)全身を硬直させて絶命。彼らの悔しさが良く伝わると同時に自ら命を絶つのがいかに強い精神力を要するかひしひしと感じられた。それにしても他の出演者と比べて彼の演技は良くも悪くもやや突出していた。 他にも印象に残ったシーンは数知れずある。岡本喜八監督のドキュメンタリータッチの演出、ややぶつ切りの編集もここでは気にならない。 考証、演出共に良くできている。 1967年と言うこの映画が作られた年代がよかったのだろう。(拳銃、機関銃の射撃シーンに迫力が無いのはこれはもう日本では仕方がない事だが。)一瞬写った三八式(あるいは九九式か?)小銃の弾込めシーンなどでは実銃を使ってるみたいだった。当時は制作側、出演者それぞれに太平洋戦争を直接体験した人たちが数多くいたのでいいかげんな事は出来なかったろう。 今このような映画を作れといってもなかなか難しいのではないかと思う。本当は今こそ真摯な戦争映画が日本で作られるべきだと思うのだが。Saving Private RyanやThin Red Lineを観るとそのことを強く感じる。 この映画を単純に”戦争映画”とジャンル分けするのに躊躇する。とにかく重いテーマの映画だし、決して娯楽映画と言うようなものではないが、日本人だったら、又は太平洋戦争に少しでも興味があるなら一度は観ておくべき映画と思う。 それにしてもどこまでが本当の話なのか。もっと歴史を勉強しなきゃいかんな。 |
|
![]()
| 08/15 |
|
| 満身創痍の大日本帝国。どう足掻いてもやってくる結末は見えていた。しかしこの戦争を収めるすべがこの国にはない。一日遅れるごとに数多の人命が失われていく。だが、まだ足りないのだ。 半藤利一著の原作により、昭和20年8月15日、敗戦の日の24時間を描いた東宝の記念碑的大作でした。当時はまだ関係者の大多数が存命中で、公開時には迫水久常氏や鈴木一氏(貫太郎首相秘書/長男)をはじめとする方々がTVの特集に登場してこもごも体験を語られたもので、そのアドヴァイスあってか大変リアリティのある映像が作られました。今までのレヴューと違い、私たちの父母の血を流した時代の物語であることから、今回はいつも以上にエモーションが先に立ってしまいます。印象に残るシーンの数々。 1. 児玉の陸海混成航空隊の特攻隊出撃シーン。史実とは少し違うのですが、こんなこともあった事と思います。戦争、もう少しで終わったのに。 ちょっと気になったのは、焼け野が原の東京がほとんど出てこない事。東京大空襲で最も被害を受けた地域に住むものとしては不満です。市民生活の断片なりとも描いてあればよかったのですが。それと、陸軍将校たちの軍服を始めコスチュームがぴしっとしすぎています。人絹でペラペラな着物などもう少し疲れた感じを出してあの断末魔の暑い日を再現して欲しかったと思います。しかし、自らの造った機構に縛られて勇気ある決断を下す事ことが出来ず、ずるずると戦争を長引かせてしまった当時の日本。今でもあまり変わっていないという思いがします。 今回の点は付けづらいのですが、公開当時の印象を加味して9.0点! |
|
![]()
| ハウプマン |
|
| ポツダム宣言受諾の可否討議から御前会議のご聖断を経て、終戦前日の「日本のいちばん長い日」を描いた力作。戦闘シーンはいっさいなく、戦争映画というよりは決起によって終戦を阻止しようとする陸軍省の青年将校たちの行動を中心としたスリリングな叛乱事件映画と言える。
簡潔な戦争経緯の説明から、ポツダム宣言をめぐる激しい議論。人命よりも国家の体面にこだわっている間に広島、長崎に原爆投下され、一挙に戦争終結か日本民族の滅亡かという二者択一を迫られる日本。この導入が素晴らしく、ドラマが巨大な重圧感をもって迫ってくる。 決起工作に奔走する青年将校たちの軍服の、脇から背中を黒く染める汗の描写。額に光る玉の汗。参謀紐緒をはねあげながら、長い坂道を自転車で駆け上がる彼らの異様なエネルギー。おそらく実戦経験がなく、目の前に広がる本土空襲の災禍も国民の窮状も理解しようとしない彼らが、なお、国家のためと終戦阻止の決起に情熱をかける。ここには「敵を知らず、己を知らず」自分の都合のままに主観的感情的な戦争指導に暴走した昭和の陸軍軍人の典型が浮かび上がります。 阿南陸相、森師団長、田中軍司令官らベテランが分別ある行動をとり、阿南陸相にいたっては部下の暴走の責任までとって自裁することで陸軍軍人の良識が示され、非常にドラマとしてバランスがとれていると思います。 |
|
| marmel |
|
| モノクロ映画、その重厚さは良いのですが、いかんせん、字幕が見えにくい。 玉音放送は、やはり、昭和天皇の声でないと歴史的な重さを感じられません。 終戦間際の政府の対応は、歴史的に見れば、「なんで負けると判っているのに戦いつづけるの?」と無駄な人命を失う過失で終わらせることができます。 |
|
![]()
| 赤男爵 |
|
| 戦争映画というよりは、昭和20年8月15日終戦の日をドキュメンタリータッチに徹して描いた作品。出演者の額に光る汗や皇居地下会議室の重苦しい空気、あの暑くて長い一日が白黒の映像から良く伝わってくる。玉音放送にまつわる逸話としては、受信状態が悪くて何を言っているのかほとんど聞き取れなかったそうで、事実校長先生が「天皇陛下のおおせのとおり、生徒諸君も勝利を確信し益々頑張るように。」と述べたとか。外地にあった日本軍は玉音放送を受け整然と武装解除に応じ降伏したが、一部軍人達の不穏な動きによって、終戦どころか勝算のない本土決戦が遂行されたかもしれなかったことをこの映画によって初めて知った。もっとも、宇垣纏中将は終戦を知った上で特攻出撃したし、海軍厚木航空隊は連合軍の進駐ギリギリまで徹底抗戦を叫んでいたのも事実。それにポツダム宣言が発出されてこのような議論をすることなく直ちに受諾していれば、長崎広島への原爆投下、シベリア抑留といった悲劇もなかったはず。過去の過ちを反省し祖国のために散華した英霊たちに思いをはす日という終戦記念日の目的はこのためか。 笠智衆演じる鈴木貫太郎首相はあんなに飄々としているが、実は元海軍大将。日清戦争では魚雷艇の艇長で鬼貫とアダナされたほどの死を恐れぬ剛毅な武人だった。2.26事件では青年将校が自宅に乱入し、銃弾を浴びたが奇跡的に一命を取りとめている。 長く侍従長を勤め昭和天皇の信任厚く、喜寿を迎えての最後のご奉公が命をかけてでも終戦に持ち込むことだった。 もう一人の重鎮は三船敏郎の阿南陸相。ポツダム宣言や終戦の詔勅(玉音放送)の末梢な文言に固執するが、これは国の存続そして軍全体の誇りと体面を保つことを目指したのである。地位保全を図る私人の偏狭なメンツではなくて武人の気概というべきである。それは自らの命を絶つことで証明している。 後は青年将校たち。太平洋戦争の敗因はいまさら語るまでもないが、こと陸軍の指導層においては、機械力、工業力によるRMAに目を向けようともせず、独善的精神主義に凝り固まったトップ、それにその教条を盲信し、外部からのインプットを一切遮断してしまって血気にはやる将校団という構造的欠陥、機能的欠陥に遠因があった。敵に向かって行くならまだしもだが、ダンビラ(日本刀)引っさげて戦争を終結させようとする人を斬殺しに向かうなんて、現代の軍隊とは思えない所業。黒沢年男の鬼気迫る演技はこの異常な集団を上手く表現していたものの、この人たちは戦後復興には使えないなという印象をもった。 いずれにしても、国家存亡の危機に直面した時に、中枢から市井の人まで様々な人がどんな考えを持ってどう行動したかを映像化するという難しいテーマに正面きって真面目に取り組んだ稀代な力作であることに異論はない。 戦争映画として評価しにくい面がどうしても否定できず7点。それは別として、次代に正しく引継ぐためにはこの映画を中学、高校で歴史教材として生徒に鑑賞させて徹底的に討論させるといった教育の姿勢が必要だと思う。 |
|