[解説]
この映画の筋はたつた一言で足りる──一九四三年、リヨンのモントリユック監獄から一人の死刊囚が脱獄した──たゞそれだけの話である。
だが、それだけの中に、生と死の窮局に追いやられた一人の人間がいかに純粋に生き、一つの目的に集中した人間の精神力がいかに測り知ることの出来ない深さを持つものであるかを、この映画は語りつくしている。
物語りはアンドレ・ドヴイニという実在のフランス軍人の手記によるものである。当時、ドイツの占領下にあつたリヨンで、ドヴイニ大佐は、ドイツのゲシュタポに捕えられ、死刑の宣告を受け、モントリユック監獄の独房に入れられてからの四ヶ月間、いつ処刑されるかも知れない不安な日々のなかで、着々と脱獄の準備をすゝめ遂にその目的を貫き通す空前絶後の体験を書き綴つたものである。監督のロペール・プレッソンはドヴイニ大佐のこの手記を映画化するに当り、真実そのまゝを再現するために、モントリユック監獄にカメラを据え、終始ドヴイニ大佐の細かい指示を受けながら、映画史上空前と云われるこの大傑作を完成したのである。
ロベール・プレッソンは我国にはまだ一本もその作品は紹介きれていないが、フランスでは十人の大監督中でも、最もきびしい芸術的良心の監督として、絶対的な尊敬と信頼とを集めている。鬼才、という言葉があるが、プレッソンほどこの形容が適切に感じられる人はないであろう。我われはいま始めて「抵抗」によつてプレッソンの作品に接するわけであるが、魂をえぐり出して見せるような、あまりにもひたむきな、あまりにも烈しい真実の追求の前に、一種名状しがたいおののきを感じながら、何時の間にか画面のうちに引き入れられ、画面の中の主人公と共に独房の中で呼吸し、共に死の不安におののき、共に脱獄の一念につきまとわれているような錯覚に陥るのである。
モントリユック監獄は、絶対に脱走不可能と云われたほど要塞堅固な監獄である。小きな独房に閉じ込められて何時処刑されるとも知れぬ四ヶ月間──だが、その間に、不屈の意志力と生命力とで、彼はたゞ一つの目的、脱走という目的に向つて突進する。そして、夜となく昼となく、着々と脱獄の準備をすゝめて行く。死刑は明日かも知れない。すべての試みは徒労かも知れない。今日も他の収容者たちを処刑する銃声が独房の壁にひゞく。明日は我が身の運命かも知れない。絶えず、鋭い氷片のように脳裡を刺すこの不安の中で、彼は自分を失わず、一秒一秒を目的に向つて刻んで行く。独房の「無」の中から、脱獄に必要なものを着々と生み出して行く。しかも四ヶ月の長きに亘つて──人間の生命力、意志力とは測り知ることの出来ないほど偉大なものである。しかも、この行為が純粋に、崇高に、我々の心を捉えてくるのは、不当な重圧と、不当な鉄のくさりを絶ち切ろうとする主人公の魂の抵抗が純粋で崇高だからである。彼の冷静な忍耐力を支えているものほ、ドイツ軍への抵抗精神である。
ロベール・プレッソンの演出は既成の映画技術形式のすべてを無視しながら、最も映画的映画を、記録映画以上に「真実による真実」を表わすことに到達したのである。そして、一つの物語もなく、筋もなく、劇もなくたゞ脱走の描写のみに終始するこの作品を、最後まで一分のゆるみもない強い感動とサスペンスによつて、我われの胸を締めつけ通した演出力の粘り強さ、燃えるような情熱によつて、感動的な全く新しい作品がこゝに誕生したわけである。
占領下の重くるしい雰囲気、拷問、獄中の暁の不安、喉を灼くような自由への渇仰、そした感じを短いショットの中で画面に適確に刻みつけて行くこの作品からは、安易な感激は一切癈除されている
それから、この映画で特に注目されるのは、音響効果の素晴らしさである。扉のきしる音、足音、きゝやき、等かすかな物音が重要な心理的役割を演じている。
主人公を演じているフランソワ・ルテリエほ、全く無名の、二十七才になる哲学科の学生である。最近モロッコで二年間の兵役を終え、再び学生生活に帰つたところをプレッソンに発見されたわけ。彼の演技は実に素晴らしい。すべてを失いながらも、自分白身だけは失わぬこの映画の主人公フォンテーヌ中尉の無言の抵抗を、彼はその美しく澄んだ智的な瞳の動き一つに集中して、崇高なまでの静けきと、燃えるような情熱とを表現している。
その他の出演者も、著名な新聞記者や、劇評家、装飾家等、そうそうたるインテリ揃いであることから見ても、この作品の深い意義が察しられる。 |