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ピンク・フロイド/ザ・ウォール
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[解説] ロックはこの1983年に新しく生まれ変わった!熱く燃えて、ただそれだけで終っていた60年代から20年その歳月の流れの中て、伝説のピンク・フロイドは、いまもの凄い異次元のパワーをもって甦えった。音楽と映像の新しい革命の中で…。 |
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[プロダクション・ノート]★これはコンサート映画ではない! ★「これは単なるコンサート映画ではない」と、アラン・バーカー監督は企画の最初の段階で製作資金調達のためにハリウッドの資本家たちに鋭明してまわったが、誰にもなかなか種解してもらえなかった。従来、コンサート映画は儲からないものという先入観があったので誤解を招いたのだ。矢つぎばやにアカデミー賞級の作品を発表し、カンヌ映画祭でも毎年のように話題を集めている国際的な映画人アラン・パーカーの企画にはみんなが飛びつくのに、この作品だけは例外だった。それだけ説明かむづかしい型破りの画期的な映画だった。結局、「フェーム」「シュート・ザ・ムーン」で協力したMGMのデビッド・ベゲルマンだけが彼を信頼して出資の約束をした。アラン・パーカーは、フランスの巨匠アペル・ガンスが「ナポレオン」でやったように、カメラを時計の振子に据えて影撮したり、いろいろと独創的な試みをやっている「映画手法の点で、かつて試みたことのないことをやったとは思わないが、すくなくともこれまでにやった手法はすべて使った」と語る意欲作である。 ★ピンク・フロイドと映画 ★ピンク・フロイドの活動における音楽と映像の結びつきは、ずっと以前からのものであった。彼らは、照明、スライド、映画その他の特殊効果を実験的にとり入れた初めてのグループと言える。したがって、ピンク・フロイドのステージ・ショウほど大がかりなスペクタクルはなかった。さらに、「モア」(69)「砂丘」(70)など映画音楽も担当、彼らのライブ・ショウのコンサート映画も1972年の公開いらい稼ぎかしらとなっている。 ★R・ウォーターズの見事な脚本 ★ピンク・フロイドのリーダー、ロジャー・ウォーターズは、この「ザ・ウォール」によって、異色の映画脚本家の誕生と騒がれている。彼はアルバムでもライブ・ショウでも大ヒットとなった「ザ・ウォール」映画化の話を映画会社に持ち込んだ。映画会社はピンク・フロイドの息の長い人気とアルバムの記録的ヒットのため大いに乗り気で、第1線のシナリオ・ライターたちに脚本を書かせてみた,ところがどうしたことかみんなありきたりの陳腐な脚本になってしまい、映画化はオクラになっていた。 ★<フェーム>のA・パーカーと<炎のランナー>のD・プットナム ★「炎のランナー」でいまやイギリス映画界の新しいリーダーとなったデビッド・プットナムが、日本でも大ヒットした「小さな恋のメロディ」を製作して世界を驚かせたのは、若冠28歳のとき。彼の依頼で、その作品の脚本を書いたのが、25歳のアラン・バーカーだった。ふたりはおなじ広告代理店で宣伝の仕事にたずさわっていた親友同士で、その後も「ダウンタウン物語」「ミッドナイト・エクスプレス」と協力して、意欲にみちた秀作を連発、そのいずれもがアカデミー賞をはじめかずかずの国際的な賞を受けるというエネルギッシュな活躍ぶりを示し、l作ごとに世界の注目を集める存在となっている。 |
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