[パンフレット] 353作品

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解説、プロダクションノートはパンフレットの表記そのままで掲載していますので誤字・脱字・旧字・旧仮名づかい等があります。ご了承下さい。

<カ行>

戒厳令
帰らざる勇者
影の私刑
カジュアリティーズ
風とライオン
合衆国最後の日
語らざる男
カミカゼ
眼下の敵
ガンジー
艦隊は踊る
帰郷
危険な道
機動部隊
奇襲戦隊
キプールの記憶
キャッシュ
キャッチ22
橋頭堡を攻撃せよ
逆転電撃作戦
巨大なる戦場
キリング・フィールド
禁じられた遊び(2種類)
空挺部隊
空軍大戦略
空爆大作戦
駆潜艇 K-255
グッドモーニング、ベトナム
暗い日曜日
グリーンベレー
クリムゾン・タイド
グローリー
クロスボー作戦
軍法会議
ケイン号の叛乱
激戦地(1946)
撃滅戦車隊3000粁
血戦奇襲部隊
決戦珊瑚海
原子力潜水艦浮上せず
攻撃(2種類)
極楽ホテル
地上より永遠に
コルチャック先生
コレヒドール戦記
コレリ大尉のマンドリン

 

ガンジー

昭和58年4月16日発行
発行所:東宝 出版・商品販促室
発行権者:コロムビア映画
定価400円
A4版32P

[解説]

 「これから何世代か後の人々は、このような人間が生きて、この世に実在したとは信じられないのではあるまいか」
 ガンジーについてこう書いたのは、アルベルト・アインシュタインである。
 インド独立運動の指導者“偉大なる魂”マハトマ・ガンジー。その波乱に満ちた生涯が、ついに「アラビアのロレンス」をしのぐ壮大なスケ−ルの映画になった。
 といっても「ガンジー」は、単に救国の聖人を賛美するだけの映画ではない。祖国インドの大地を愛するが故に.3億5千万人の同胞を愛するが故に、支配者大英帝国の巨大な力に立ち向かっていった男のナマ身の姿を初めてとらえた、ドラマチックな愛と勇気の大口マンなのである。
 敵が殴ってきたら、すすんで殴られよ。撃ってきたら、昂然と胸をほって撃たれよ。ただし、こちらから相手の血を流すような行動は絶対するな! ガンジーの非暴力主義は、平和を愛する限りない人類愛からほとばしり出たものであった。そして、彼の強い信念と行動力、決断が、その非暴力主義を、何にもまして効果的な戦略に変えていった。
 この映画には、そうしたガンジーの指導者としての影響力の大きさと同時に、世界のマスコミを巧みに使った世論操件の卓抜さや、陰に陽に彼を支えたカストルパ夫人との夫婦愛が描かれ、人間ガンジーの魅力が浮きぽりにされる。ガンジーを知る人も知らない人も、この1人の男の大いなる愛に感動し、その衝撃的な死に涙することだろう。
 20年来、この企画をあたため、ついに実現させたのは、イギリスの名優であると同時に、「達すぎた構」などのスペクタクル演出でも定評のあるリチャード・アッテンポロー。彼のみごとな演技指導のもとに、イギリスの舞台俳優出身でインド人の血を引く斯スター、ペン・キングズレーが、半世紀以上に及ぷガンジー像を驚くべき演技力で再現した。
 ガンジーと関係のあった人々に扮するのは、キャンデイス・バーゲン、エドワード・フォックス、ジョン・ギールガッド、トレパー・ハワード、ジョン・ミルズ、マーティン・シーン、イアン・チャールスンなど英米のオール・スター。
 200人以上のスタッフとのぺ30万人以上のエキストラを動見、製作費は実に4千万ドル。加えて、インド各地の広大で謎めいた美しさを持つ風景がカメラに収められラビ・シャンカールの心をうつシタールのメロディとともに、この件品にエキゾチックな雰囲気を与えている。

[プロダクション・ノート]

★20年温め続けた映画化の夢
■1962年、当時国際的に名前を知られた映画・舞台の俳優だったリチャード・アッテンポローは、ルイス・フィッシャー著のガンジー伝を読んだ。その時のことを述懐して披は言う。「それ以来、ガンジーの映画化に私はすペてを賭けてきたのだ」と。
★心に残ったネールの言葉
■アッテンポローが常に頭に置いていたのは、この映画化にあたってパンディツト・ネールが口にしたただ一つの条件だった。「どんな映画を作るにせよ、ガンジーを神格化することだけは止めて下さい。彼は人間であるが故に、偉大だったのです。」とネールは言った。それにしても、人生の3分の1をこの映画作りに賭けるほど、アッテンポローを魅きつけたものは何だったのか。「簡単なことさ。ガンジーは、われわれに人と人とが殺し合うことを止めるには、どうしたらいいかを示してくれたんだ」と彼は言う。
★ガンジーは生きている!
■キャスティングのキー・ポイントは、もちろん主役のマハトマ・ガンジーを演じる俳優の選択であった。 アッテンポロー監督は、20年間のリサーチの未に、ついにベン・キングスレーを起用した。それは第一に、キングスレーが半分インド人の血を引いていたから。彼の本名はクリシュナ・ランジといい、その家族はガンジーの生地の出身者なのだ。これらのことから、キンダスレーとガンジーが肉体的によく似ていたことが説明できよう。長くほっそりとカーブした鼻、ダーク・ブラウンの目、骨格など、すべてが似ていた。身長も同じだったし、体重の方も、キンダスレーがガンジー流の菜食ダイエットで8キロ滅量した結果、ガンジーと変わちなくなった。
★信じられない試み
■アッテンポローがこの映画を作るためには、辛くて長い闘いがあった。サー・ウインストン・チャーチルが、「裸の貧乏坊主」と形容したようなインド人の映画を誰が見に行くかと悪評が、まずあった。 だが.ロンドンの“ディリー・エクスプレス”は「ガンジーは生きている!」という見出して、アッテンポロ−が4000万ドルを投じた「この気ちがいじみた大胆な事業」を報じた。確かに、こんな状況で、これほど大規模で費用のかさむ映画を作ろうなどと考えた者は他にいなかった。
★壮大なセット広汎なロケーション
■ガンジーの生きた時代の雰囲気を再現するため、190人のインド人と英国の精鋭技術者と、何千人という不定期の補助スタッフからなるロケ隊は、膨大な量の資材、衣裳、機械類を集めなければならなかった。ボーイング707が20トン余の荷物をイギリスからインドに運ぶためチャーターされた。4台の大型車(発電車、2台の移動キッチン.食糧冷蔵トラック)は、船で海上輸送された。
 特別に建てられたセットに.ガンジーの最初のアシュラム(コミューン)がある。これは、現在ある資料に基いて正確に再現されたもの。しかし、映画の大半は、 現実のインドの風景──王宮やスラム、狭い鉄道の線路や広々としたガンジスの河畔などをパックに.この広大な国の東西南北をかけめぐって撮影された。
★葬列シーンに30万人以上動具
■1981年1月30日、ガンジーの死後33年めの記念日に.撮影隊ほニューデリーでガンジーの葬儀のシーンを再現した。大勢の会葬者と一千人の軍人たちからなる葬儀の列は、まるでほんものそっくりだった。また、3干名の予備兵と8万5千人の村人たちが市中にかり出され.見物の人々を入れると30万人以上の人々が動員された。(1948年のガンジーの葬儀には、25.0万人が参列した)これらの大群衆シーンが、6名のカメラマンを増員して撮影された。映画全体のスペクタクル・シーンを合わせると、実に100万人以上のインド人が出演したことになる。これは、映画史上でも余り例をみないスケールの大きさだ。
★既製のイメージを覆えす新ガンジー像
■アッテンポロー監督は語る。「ガンジーのことはよく知っていると思っていても、この映画を見たらビックリする人が多いと思うよ。みんな勝手にイメージを作り上げているのだから。同じように、ガンジーとその生涯についてほとんど知識のない人も、映画を見て驚くだろう。世界史の中でも最もはなばなしい事件に、彼が深くかかわっていたことにね。そして、ドラマチックでスリルに満ち、時に暴力的な出来事がつみ重なって、最後に英国植民地支配からの独立というすばらしい栄光を勝ち取ったガンジーの業績に、目をみはるだろう!」