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風雪の太陽
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[解説] 全ヨーロッパをナチス・ドイツが席捲した一九四一年。ヨーロッパの地図の中に、わずかにただ一カ所、自由圏を守っている国があった。チトー率いる、ユーゴスラビアであった。ヒトラーはソ連戦線への補給路として、さらに隣国イタリアへの直接の脅威として、この、ユーゴスラビアを全滅させる指示をした。ドイツ軍の大攻勢は五回にわたった。 |
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[プロダクション・ノート]ユーゴにとって神聖ともいうべき“スチェスカ河の戦い”を映画化するにあたって、ユーゴ軍の全面協力と、長期にわたる準備期間が必要だった。軍は、一旅団、二連隊をこの撮影のために派遣し、さらに戦車、装甲車、飛行機百五十機を参加させた。シナリオの検討、ロケハン、撮影は実に四年間の長きにわたり、この歴史的戦争を忠実に再現するという至難のわざを見事やり遂げた。 リチャード・バートンとの交渉は一九七一年春に始められた。チトーに似ていることとこの映画の歴史的意義を認め、すでに契約していた映画一本をとり消しての承諾であった。一九七一年七月三〇日、チトーのブリオン島にある別邸でバートンは大統領に会った。 七一年九月五日、スチェスカの戦士記念碑の除幕式のためチェンティステを訪れたチトー大統領は、予定にはなかったロケ見学をした。丁度チトーが負傷するシーンを撮っていたが、チトーはバートンに語った。 この映画の脚本の監修を行っているのが名優オーソン・ウェルズ。彼は第二次大戦に大変くわしく、とりわけ全ヨーロッパがナチス一色に塗りつぶされているとき、唯一の自由圏を確保したユーゴの戦闘の研究家として知られ、この映画でもイギリス首相チャーチル役で出演するはずであったが、都合でチャーチルの出番がなく、シナリオの監修として参加した。 七三年七月四日、激戦の地チェンティステで「風雪の太陽」の初めての試写会が行われ、チトー大統領も観た。「この映画はすばらしい。いくつものドラマ、いくつもの悲劇、そしてヒューマニズム。人々を救うために、いかに他の人々が死んでいったかを、この映画は人間愛とともに語りかける。」と大統領はこの一大叙事詩に感動していた。 |
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