[パンフレット] 353作品

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解説、プロダクションノートはパンフレットの表記そのままで掲載していますので誤字・脱字・旧字・旧仮名づかい等があります。ご了承下さい。

<ワ行>

ワイルド・ギース
ワーテルロー
若き獅子たち
わが故郷の歌
わが闘争
若き勇者たち
鷲は舞いおりた
鷲の指輪
ワルソー・ゲットー

 

ワルソー・ゲットー

1962年6月発行
A4版12P

[解説]

 「ワルソー・ゲットー」とは、ポーランドの首都ワルソーに、ナチ・ドイツが作ったユダヤ人居住区域ということです。しかし、「ワルソー・ゲットー」の名は、「アウシュウィッツ」などの名とならんで、ナチ・ドイツのおそろしい残虐行為を象徴しているものです。
 一九三九年九月、ナチ・ドイツは、ポーランドに電撃作戦を開始して、第二次大戦がはじまりました。ナチがワルソーを占領するとまもなく、ユダヤ人を経済的、政治的、社会的に破滅させることが企てられました。
 ワルソーには約三十六万のユダヤ人がおりました。
 一九四〇年はじめには、ユダヤ人はすべて、高い壁にかこまれた二キロメートル(半里)四方ばかりの居住区域、つまりゲットーに押しこめられました。ポーランドの各地からのユダヤ人もここに集められたので、後には、その数が六十万にもなったといわれます。ここで、わずか三年たらずの間に、六十万のユダヤ人は、計画的に死へ追いやられたのであります。
 この映画のフイルム資料は、悪名高きナチの宣伝相ゲッベルスの機関(PK=宣伝中隊)が、宣伝に利用しようとして撮影したものですが、逆効果をおそれて使用をとりやめたままになっていたもので、この大部分は未公開です。(「わが斗争」や「夜と霧」に、ごく一部が使われましたが)。
 この映画「ゲットーの時代」(原名)は、昨年の秋(一九六一年十一月二十六日)パリで封切られました。
 この映画は、サビついたものを、一枚一枚めくっていくような、なまやさしい“ドキュメント”ではありません。「カメラでえがいた歴史」──あの、すさまじい日々を、まざまざと再生した、おそるべき記録です。
 この映画の特徴は、上記のフィルム資料に、ゲットーの嚢から脱れた人々の証言をはさんで、交響的、抒情的に構成したところにあります。こうして、この映画は、人間が人間に対し、どれ位おそろしいことができるか、そして、その残忍さに、人間精神がどの位耐えられるものか、そのぎりぎりを記録しています。
 監督のフレデリック・ロシフは、モンテネグロ生れ、第二次大戦中、イタリアでフランス自由軍に参加、戦後は、フランスでシネマテーク(映画図書館)に所属して、多くの短編映画を監督しました。このなかには、コダクロームを使った最初の作品「ピカソ」「マチス」「コクトー」などもあります。
 一九五一年テレビに入り、最近までの十年間に、三百種のテレビ用ドキュメント映画を監督しました。彼の製作態度は慎重で、準備が完了してからでないと、撮影に入りませんでした。月一本以上の仕事をしたこともありません。このなかには、「十二月二日の衝撃」「世界におけるファシズム」「アルコール中毒」「原子爆弾」「アイシュタインとの最後のインタビュー」などの題名の作品がみられます。
 「第一面五段抜き」という題名のシリーズは、現在、放送中ですが、フランスで最も人気の高い番組の一つです。
 さて、ノレデリック・ロシフが、なぜ、35ミリの映画「ワルソー・ゲットー」を作る気になったかを申しましょう。
 最近、彼は「過去の雑誌」という番組を持っていました。これは、フランス・ポーランド、ロシアの田舎をあつかったシリーズものです。このシリーズで、ワルソー・ゲットーの十四年記念に十五分間の番組をつくりました。ロシフは大変感激して、この主題で、もっと完全な映画を作りたいと思いたちました。エマユュエル・リンゲルブルームの、ゲットーの廃墟から堀りだされた手記(邦訳「ワルソー・ゲットー」カッパ・ブックス)を読んでから、彼の考えは決定的になりました。
 彼の映画の作り方は、フィルムや写真材料による客観的な面と、生き残ったユダヤ人の証言を録音した主観的な面と、この二つの面で悲劇を表現しようとしました。ユダヤ人たちには、悲劇の古代的コーラス団の役目を果させようとしました。
 彼は、死刑執行人に対抗する犠牲者の味方になり、観客に同じ反応をひきおこすような抒情的な映画を作りたいと思ったのです。
 しかし、彼は、ユダヤ人たちを、ヒーローとしてでなく、人間として提出したいと思いました。消え去った時間、消え去った世界を再生させること、そして、事物を現実的に、肉体的にも現実的に感ずるように、再生させることを心がけました。
 彼は言っています。
「われわれは、証人たちにゲットーでみたこと、個人的な悲劇を、語ってくれるようにたのみました。われわれは、彼らの記憶の深い層位に到達するように、また内面的な記憶からでる自動的な調子で、話を録音するよう努力しました。」
 その中から、最も意義がある。真実と思えるシークェンスだけを採用した、といいます
 ゲットーからの生きのこりのユダヤ人をさがすのに六カ月かかりました。はじめ新聞広告も出しました。フランスに居住するユダヤ人がきました。そしてポーランドからも、イスラエルからも、ユダヤ人たちは集ってきました。最初の証人が、他の証人たちを呼んできました。全部で四十四人の録音をとりました。映画で採用したのは三十二人、それぞれ十五秒ずつの時間です。
 ゲットーで六十万人いたうち、生き残ったのは五百人そこそこです。ここに証言したのは、そのひとつかみの人数です。
 録音が終ると、みんな泣いていました。はじめは、証言を拒否しましたが、ステージの雰囲気や、スタッフの愛情に動かされて最後の決心をしたのが大部分でした。「ゲットーの三年間より、この映画の一時間半のほうが、もっと多くのものをみた」という証人もいました。
 製作のピエール・ブラウンベルジェは、「アメリカの裏窓」の製作者でもあります。彼は「勝手にしやがれ」などのジャン=リュック・ゴダール監督や「いとこ同志」のクロード・シャブロ監督など、フランスの“ヌーヴェル・ヴァーグ”の監督を使って、多くの短編映画を作ってきました。一九五二年に、彼自身が監督して「斗牛への道」という映画も作っています。
 日本語版製作に当っては、証言の一部は、スーパー・インポーズをつけて、原作の味をそのまま伝え、一部は日本語にふきかえて、わかりよくしました。また一部は、日本の一般観客にははん雑なので省略しました。
 そのかわり、怒濤の進撃に抵抗してポーランド防衛に当る、ポーランド側で撮影した生々しいフィルムを追加しました。