[解説]
“ハリウッド映画?そんなものは今は存在しない。今、真にオリジナルなのは新しい西ドイツ映画だけだ”と断言したのは、カンヌ映画祭に「地獄の黙示録」を出品して記者会見した時のフランシス・コツポラ監督だが、60年代から70年代にかけて40人になんなんとする新しい映画作家を輩出させて、<ニュー・ジャーマン・シネマ〉はまさに花ざかりといっていい。
なかでも、若き二大作家と注目され、人によっては、20年代ドイツ映画黄金期の巨匠フリッツ・ラングとムルナウの再来とまで叫ばせる存在が、46年生れのライナー・W・ファスビンダーと、42年生れのヴェルナー・ヘルツォーク。
このふたりに45年生れのヴィム・ヴェンダースを加えて“新世代御三家”と呼んだり、世代はひとまわり上だが79年カンヌ映画祭クランプりの『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフを加えて、<ノイエ・ヴェレ(新しい波)〉の四銃士と呼ぶなど、クローズアップぶりはさまざまだが、ファスビンダーは年令的にも最も若く、長編第1作を23歳の最年少で自作自演で完成し(69年『愛は死よりも冷酷』)、30代前半で常に年令を上まわる本数の長編があって、コダール以後最高のスキャンダル・メイカー。ファスビンダーの存在なくして、〈ニュー・ジャーマンシネマ〉に世界がこれほどまで注目することはなかったろう。
「マリア・ブラウンの結婚」は、天才はだの奇人、あるいは奇人はだの天才ファスビンダーが、珍しく正政法で戦後ドイツにとりくんだ作品で、原題の正確な意味は「マリア・ブラウンの結婚の日々」。敗戦前夜に結婚式をあげて、わずか半日の一夜で夫を戦地におくりだし、戦後の米軍占領時代から、東西ドイツの分離をへて、やがて西ドイツが経済復興の波にのる1954年、帰ってきた夫を迎えて事故とも自殺ともしれぬ死をとげるマリア・ブラウンの半生を描いた力作。
ヒットラーの写真が爆風で吹っ飛ぶファースト・シーンから、ラスト・シーンを、54年7月4日、実際に、世界サッカー選手権でドイツが優勝して一日本の、水泳の古橋選手がロスアンゼルスで優勝した時のような国民的興奮を呼んだ日に設定して、マリアたちの死のあとにドイツ歴代の宰相(アデナウアー、エアハルト、キージンガー、──ブラントはなく──シュミット)の写真でしめくくる鮮かなエンディングまで、重い内容を軽快な語りくちで2時間あっという間に見せてしまう。
完成後ベルリン映画祭に出品され、“偉大な映画。戦後ドイツの実に正確なレプリカだ!”とシュピーゲル誌ほかの絶賛を浴び、ハンナ・シグラに対し主演女優賞が、撮影のバルハウス他技術スタッフにも大賞が与えられた。
国内の一般公開では130万人の観客を動員するドイツ映画として記録的なヒットをとばし、ニューヨーク映画祭特別上映では「ラストタンゴ・イン・パリ」いらいという異常な前売人気に湧き、ニューヨークのシネマ・スタジオ1での公開では開館いらいの興行記録で大ヒット。イタリアでは、ファスビンダーに故ヴィスコンティ監督を記念するドナテロ最優秀映画作家賞が与えられ、今後公開されるフランス、イギリスとともに大ヒットが確実視されている。
主演のハンナ・シグラは、ファスビンダーの演劇時代からの仲間で、『愛は死よりも冷酷』で映画デビューしてファスビンダーの殆ど全作品に出演。マリア役は、“これまで彼女が演じたファスビンダーの女性像の集大成”(ヴィンセント・キャンビー、ニューヨーク・タイムズ)で、“ファスビンダーの「嘆きの天使」だ!”(バーナード・ドルー)、“ディートリッヒとジーン・ハーローの再来!”(ニューヨーク・マガジン)と、大スター、マルレーネ・ディートリッヒになぞらえられる程の人気ぶり。50年代ファッションでニューヨークっ子の心を熱くしている。
ヘルマン役のレーヴィッチュ(「戦争のはらわた」)、オスワルド役のイヴァ
ン・デニー(「両面の鏡」)、ファスビンダーの家母でエ一ムケ役のリロ・ペン
パイト、自身監督でもあるハーク・ボーム、さらに、闇市場の男の役で出演するファスビンダー自身。音楽のペーア・ラーベン、美術のノルベルト・シェーラー。そして、この映画でフジ・フィルムをネガティヴに使用して、深く鋭い映像づくりにみごとな成果をあげたミハエル・バルハウスら、実力にあふれたファスビンダー組のメンバーである。 |