[プロダクション・ノート]
『ぼくの神さま』は、ナチス占領下のポーランドを舞台に、天才子役ハーレイ・ジョエル・オスメントが、カトリック教徒に偽装してホロコーストを生き延びた11歳のユダヤ人少年を演じる感動作である。この作品の監督、脚本を手がけたユレク・ボガエヴィッチは語る。
「私の目的は、第二次世界大戦中のポーランドを舞台にして、子供たちが主人公の物語を描くことだった。私が生まれた国へ立ち戻り、幼い頃の記憶を呼び起こし、そこからこの脚本を作ろうと思ったんだ。そのプロセスを振り返ると、パズルのピースを少しずつ集めて、1枚の大きな絵を描写していくようなものだった」。
ボガエヴィッチはポーランド生まれ。父が音楽家で、25年前にアメリカ合衆国に一家で移住している。
「これは、ポーランド人が英語で脚本を書き、アメリカ人俳優が演じ、ポーランドで撮影された初めての映画だ。ひどくノンポリな私にとってこれは、今まで隠されてきた痛々しい祖国の過去と向き合う作品なんだよ」と言う。
この映画の撮影は、2000年5月1日、新緑が美しいポーランドでスタートした。映画化が実現するまでには3年の歳月を要したという。
「私は合衆国へ移住して25年になるが、最近になってようやく、自分のルーツについて深く考え始めた。私は第二次世界大戦後にポーランドに生まれたが、周りにいる大人たちは、過去に何があったか、はっきりと話そうとしなかった。私の両親も、彼らの友人たちも、その社会全体が過去の体験を隠そうとするのが私には不可解で仕方なかった。私が生まれたあの国では、ほんの10年前に、何百万人ものユダヤ系ポーランド人が殺害されたんだ。しかし私は、その話に触れる会話を一度も耳にしていないことに気づいた。ポーランドでは、ユダヤ人に関する話は戸惑いであり恥なんだよ」
本件で初めて、ボガエヴィッチは自分の脚本で映画を作った。脚本を書いて監督するのは彼の長年の夢だった。
「私はこの脚本をゼブ・ブラウン、フィリップ.クラップと共に、ブラウン・エンタテインメント・グループのオフィスで練り上げ書き上げた。どのシーンも声に出し読み上げた上で、彼らと討論し吟味して創り上げた。我々はひとつの作品が少しずつ形作られていく興奮を共有したんだ。何度も、その場に登場人物たちがいるような気持ちを味わった。登場人物たちの行動や人格がこの物語から我々の日常生活へにじみ出たような感じだったよ。我々3人はさまざまな苦労と喜びの末、やっとポーランドでの撮影にこぎつけたんだ」。
ボガエヴィッチは続ける。
「この映画の登場人物を練り上げ、場所を設定し、さまざまな人間関係を決定する一方で、私は徹底的な調査を行い、当時の子供たちの日記や思い出を綴った書類を読んだ。そのうちポーランドで政治上の雪解けがあり、新しい資料が公開されたことで、ポーランドの過去に関するいくつかのヒロイックな物語とともに、多くの恥ずべき出来事を発見したんだ。そこで、自分が書いていた物語の主旋律に、そうした現実に起きた出来事を織り交ぜた。最終的にできあがった脚本は、無邪気な子供たちが徐々に大人になっていく物語となった」。
こうしたボガエヴィッチの調査が、この物語に確かなリアリティを与え、作りものでない感動を生み出した。
主役のロメック少年を演じるハーレイ・ジョエル・オスメントの感動的な演技、そして他の子供たちとの素晴らしいアンサンブルが、この作品に一層の切なさを与えている。特筆すべきは、トロ役を演じたリアム・ヘスの演技だ。彼こそが、この作品のストーリーの要となる人物だ。一歩間違えれば狂気の側へと踏み越えかねないほどの無垢さを見事に演じきったリアムは、撮影時はまだ8歳だった。
「この映画作りは実に爽快な体験だった。撮影を始める前に、我々は2週間にわたって子供たちとワークショップを持った。子供たちにこの物語のテーマを教え、彼らが演じるキャラクターの意味を教え、役作りする上でのあらゆる障害を取り除こうとしたんだ。ほかの出演者たちのキャスティングも非常にうまく進んだ。我々は多くの俳優を何度も集めては役を即興で演じてもらい、調和の取れたアンサンブルができるようした」とボガエヴィッチは言う。またフィリップ・クラップは、『ぼくの神さま』の映画化が実現するまでの3年間、ゼブ・ブラウンがクラップとボガエヴィッチに言い続けていた言葉をこのように語った。
「彼はいつもこう言ってた。“我々は、災厄から我々を遠ざけ究極の運命へいざなう導きの星の下に生きているに違いない”とね」。
さらにブラウンは、「そもそも、ハーレイ・ジョエル・オスメントを我々のユダヤ人少年にキャスティングするなんてアイデアは、天国から舞い降りた天使以外の何ものでもないよ。神父役を誰にするか多少問題はあったものの、天国は再び我々に微笑み、ウィレム・デフォーをもたらしてくれた。そして、アヴィ・ラーナーが“イエス”という魔法の言葉を発して映画化が決定した時は、再び目の前に美しいビジョンが広がった。私たちは、その言葉をあまりにも聞きなれていなかったから、翻訳が必要なほどだった!」と語る。
映画が完成した今、この作品に関わったすべての人々が自分たちの信念が正しかったことを確信し、努力が報われたことを喜んでいる。これは、多くの人の心にいつまでも残る静かな衝撃作であり、名作と言えるだろう。 |