[解説]
第二次大戦中、平和を愛するナポリ市民が、ドイツ占領軍の暴力に抗して、文字通り町ぐるみの市街戦を展開し、遂に強力なドイツ軍を同市から撤退させて、対独レジスタンスヘとイタリア国民を奮起させた有名な事件を描いたもので、昨年十一月十五日ローマのオペラハウスでワールド・プレミアが開かれ、ロ
ッセリーニ監督作品「無防備都市」以来、イタリア・レジスタンスの最高傑作として多大の感動を与えた映画である。
原題名の「ナポリの四日間」とは、一九四三年九月二十八日から十月一日までの四日間のことで、ナポリ市民が昼夜を分かたぬ血みどろなゲリラ戦をくりひろげて、戦車隊を含む完全装備のドイツ軍を撤退のやむなきにいたらしめた光栄に満ちた歴史の一頁である。
その頃のイタリアは、同年七月ムッソリーニのファシスト政権が倒れて、バドリオの新政府が誕生、国民に平和への希望が生れたが、これをイタリアの裏切りと見たドイツ軍は電撃的にイタリア本土に進駐、北アフリカから反抗の歩を進める連合軍を迎えうつ体勢をとっていた。そのためイタリア国民は、新政府の休戦宣言に歓呼を送りながらも、平和への希望と戦場となる恐怖との間に不安な日を送っていた。当時ナポリはドイツ軍の最前線で、強力な機甲部隊の占領下にあった。
もともとナポリ市民は(生活をエンジョイしようという温順な平和主義者で、権力に反抗することからは、およそ縁遠い人々だったが、ドイツ占領軍の目に余る暴力に、心の底から怒りを発し、遂に武器を取って立ち上ったのである。これは決して計画的なものでなく、個人個人のやむにやまれぬ怒りだっただけに、全く組織的ではなかったが、男も女も、老人から子供まで、文字通り町全体が体当りするという必死の物凄さがあった。この死にものぐるいの強さが、ドイツ軍に撤退を余儀なくさせたものと云えよう。
この勝利は平和なナポリ人が自分の手で勝ち取ったものだけに、イタリア国民に与えた感動は決定的だった。ナポリに続けとばかり対独レジスタンスが全国的に湧き上ったのも当然と云えよう。映画はこの歴史的事件を出来るだけ忠実に再現しようと試みた。監督のナンニ・ロイは「ビアンカ」の脚本を書いたバスコ・プラトリーニ、バスクアーレ・カンパニーレ、マッシモ・フランチオサの三人と協力して事実を集めストーリーにし、これからカンパニーレ、フランチオサ及ぴカルロ・ベナーリと共に脚本を書いた。撮影は「豊かなる成熟」のマルチェロ・カッティが担当、ナポリ市当局や市民の全面的協力を得て、同市に四カ月間の長期ロケーションを行った。なお監督のナンニ・ロイは、映画に入る前、ローマ大学哲学科の助教授であった。
これには「情事」「ロード島の要塞」などのレア・マッサリ「狂った情事」「橋からの眺め」のジャン・ソレル、「鞄を持った女」のジャン・マリア・ボロンテなど約二十名の俳優が出演したが、ナポリ市民一万二千人が積極的に参加、作品の迫真性に大きな貢献をしている。監督のナンニ・ロイも「この映画のスターはナポリ市民だ。」と云っているが、イタリア上映のものには、ナポリ市民に敬意を表して、俳優たちがクレジットに名をつらねることを遠慮した。ここにはヒロイックなジェスチャーは見当らない。自発的、自己犠牲的な反抗の真実にあふれているが、その烈しさの中にも人間性の美しさや尊さ、ナポリ人の気質や根強い日常性などが随所に現われて、見る者の心を潤おしてくれる。音楽は「刑事」「ローマの恋」などのカルロ・ルスティケリが、古いナポリのメロディをもとにして、美しく悲しく、生き生きとした曲を提供した。
尚、戦車に立ち向って死んだ少年はじめ、この四日間の戦死者には、政府から金の勲章がおくられた。ゴッフレード・ロンバルドがMGMのために製作した一九六二年のメトロスコープ作品。 |