[パンフレット] 353作品

[] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [英数字] [プレスシート]

所有しているパンフレットを随時アップしています。珍しい物はありませんがご覧ください。

解説、プロダクションノートはパンフレットの表記そのままで掲載していますので誤字・脱字・旧字・旧仮名づかい等があります。ご了承下さい。

<タ行>

第17捕虜収容所
第27囚人戦車隊
第五戦線 遠い道
第7の暁
第8ジェット戦闘機隊
第八高地突撃隊
体当り突撃隊
タイガーランド
大進撃
大侵略
大戦争
大地と自由
大突撃
大反撃
太平洋紅に染まる時
太平洋の地獄
大編隊
太陽にかける橋 ペーパー・タイガー
太陽の帝国
戦う雷鳥師団
脱走山脈
脱走兵
小さな赤いビー玉
地下水道
地下組織
地上最大の脱出作戦
チャップリンの独裁者(2種類)
追撃機(2種類)
追想
ツェッペリン
ティアーズ・オブ・ザ・サン
ディア・アメリカ 戦場からの手紙
ディア・ハンター
抵抗(レジスタンス) 死刑囚の手記より
抵抗の詩
デルタ・フォース
テレマークの要塞
道中の点検
遠い道
遠すぎた橋
トコリの橋
ドッグ・ソルジャー
特攻決死隊
特攻決戦隊
特攻大作戦
トップ・ガン
友よ、風に抱かれて
渡洋爆撃隊
トラ トラ トラ!
捕えられた伍長
トリプルクロス

 

テレマークの要塞

1965年12月発行
A4版24P

[解説]

「私は、この歴史的な意味を持つことになったテレマークと、そこで戦われたすべてを、細部にいたるまで事実ありのままに描くことに心砕いた。ただ、9人の英雄たちと、この戦いに関係した人たちに関して、人物を混合したり、名前を変えるように配慮した。それらの多くの人は現在平和に暮しており、その生活を乱すことのないようにと考えたからである」と語るアンソニー・マン。
これは、第二次大戦後の勝者と敗者の立場を決定づけた重要な戦いを描いた戦争映画の70ミリ超大作である。
もし、原子爆弾の製造に重要なキイとなる〈重水〉をめぐって、ナチス・ドイツと戦ったノールウェイの9人の勇気ある人たちがいなかったら、あるいはこの作戦に失敗していたら、今日の世界地図はまったく違ったものになっていただろう。それを思うとき、感慨は深い。しかし、にもかかわらず、これまで〈知られざる戦争〉としてあまり多くを語られていない。
監督アンソニー・マン《ローマ帝国の滅亡》は、この映画に4つのポイントをマークした。一つは、事実を犯すことなく描くこと。第2は、できるだけセットを使わず、実物を用いること。そのためにマイナス30度という厳寒のノールウェイに、実際の事件のあった場所でロケを敢行した。重水工場も本ものであり、兵器も、また撃沈される船もミニチュアでなく本ものを使った。止むなくオープンセットを建造するときには、例えば発電所の送水管や吊橋など、本ものと同程度の経費でつくり上げた。第2は、雪をふんだんに取り入れ、ノールウェイの冬山の景観の美しさ、素晴らしさと、スキーのダイナミックな躍動感と爽快感を強調した。そのために、これらの部分にはセリフも音楽もほとんど入れない。もともとノールウェイはスキーの発祥地であり、テレマークも地名であると同時に、回転技の名称である。第4は、アクションとスリル、そしてサスペンスの積重ねだ。スピーディな展開処理と、緊迫と興奮を与えるためのさまざまな演出を工夫して、息つく間も与えず押しまくったのである。
この映画は、S・ベンジャミン・フィッツ《地獄特急》の製作だが、当時は9人のリーダーの一人クヌート・ハウケリードの体験記『原子爆弾を阻止したスキーの男たち』ならびに、1962年に出版された英国のジャーナリスト、ジョン・D・ドラモンドの『これらの男たちがいなかったら』の2つの本をもとにしてつくられた。そしてK・ハウケリードは、この映画の顧問としてあらゆる面でアドバイスを与えた。
脚本は、アイバン・モファット《大脱走》とベン・バーズマン《ローマ帝国の滅亡》が共同で書いている。撮影はロバート・クラスカー《ローマ帝国の滅亡》、音楽は、マルコム・アーノルド《戦場にかける橋》、スキーのコーチには、もとノールウェイのオリンピック回転スキーのコーチ、ヘルゲ・ストイレンが当ったが、いづれも第1級のスタッフである。
出演スターは、カーク・ダグラス《危険な道》リチャード・ハリス《ダンディー少佐》、ウーラ・ヤコブソン《ズール戦争》、マイケル・レッドグレーブ《丘》で、助演陣には、英国の俳優を多く配している。
撮影には、およそ6ヶ月を要した。64年11月30日英国南海岸のプールとウェイマス港で開始。12月28日から翌年3月22日までをノールウェイのテレマークで。ここでは、物語の舞台となったノルスク・ヒドロ社の許可と協力を得た。ついで5月29日まで、ロンドン近郊のパインウッド・スタジオで最後の撮影を行った。