[パンフレット] 353作品

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<ナ行>

殴り込み海兵隊
殴り込み戦闘機隊
ナチ帝国大戦秘録 勝利と敗北
ナバロンの嵐
ナバロンの要塞
ならず者部隊
にがい勝利
肉弾鬼中隊(1957)
二世部隊
ニュールンベルグの戦犯 13階段への道
ネイビー・シールズ
ネレトバの戦い

 

二世部隊

昭和26年12月27日発行
発行所:国際出版社
B5版12P

[解説]

曾って「二世」 「ジャップ」は蔑称であったのは、争うことの出来ない事実である。
だが、日本人を祖先とする二世の志願者によって編成された第四四二部隊は、ヴオルターノ河、ラピドー河、カッシノ、アンツイヲ、ビーチヘッド、 一四〇高地、ベルヴェーデ、ルシアナ、レグホーン、アルノ河、南仏戦線ブリエー、マリテイム・アルプス、ラ・スペツィア、マッサ、カララ、ゼノアと各地を転戦、その勇名を轟かしたが、就中北仏戦線に於いての敵の重囲下に陥ったテキサス連隊の救出は、殆ど自殺的行為だと全世界の舌を捲かせた程の死闘振りであった。
大統領の感状七、パープル・ハーツ(戦傷者功労章)七千、勲章九千余を授けられている代りに、最初の四ケ月の戦闘で、部隊定員の実に三倍の損害を受けている。次から次へと戦死傷者が続出し、あとからあとからと人員が補充されたからである。
二世部隊の忠誠に就いての危惧に対して時の大統領フランクリン・ルーズヴェルトは、「アメリカニズムと云うものは人種や祖先ではなくて、精神や真心が問題なのである」
と喝破した。今や地下の彼の霊はその先見の明を誇り微笑んで居るに相違ない。
ヴィネガー・ジョー・ステイルウエル将軍は、「彼等は彼等の流した尊い血によってアメリカ入の信頼と尊敬を購ったのだ」
と絶讃の言葉を贈っている。
世界に冠たる第四四二部隊の勲功に依って今や「二世」 「ジャップ」は尊称と変ってしまったのである。
此の第四四二部隊の第二次世界大戦中の行動を、セミ・ドキュメンタリイ形式に描いたのが此の映画なのである。
製作意図としては寧ろ米国の人種問題を扱ったと見るべきで、「ピンキー」や「ホーム・オブ・ザ・ブレーヴ」等黒人問題を扱った問題作と同じ系列に入るべき異色篇である。
原名の「ゴー・フォア・ブローク」はサイコロを振って一か八かの勝負をする際の、ハワイのスラングで「エーイやっつける」と云ったような意味だそうである。
之を合言葉として二世部隊は常に先頭に立って突進して行ったのである。
『戦場』を原作してアカデミイ賞を得たロバート・ピロツシュが原作並びに監督に当り、 『恋愛放送』『逃げた花嫁』『戦場』『恋愛聴診器』等のヴァン・ジョンスン、第四四二部隊の生き残りの勇士六名、新人ジァンナ・カネールが主
演している。
ドリイ・シェリーが自ら製作に当り、米陸軍省後援、トマス・W・エーキンス中佐とマイク正岡とが技術顧問として助言を与えた。
一九五一年五月五日、ホノルルのワイキキ劇場て世界最初の封切が行われ、当日は第四四二部隊戦没勇士の母親二八一名が招待され主役のヴァン・ジョンスンもハリウッドから空路訪問した。続いて
五月七日には東京のアーニイ・パイル劇場でプレミア・ショウが行われた。
今や講和条約は調印され、日本は独立国として国際社会に仲間入りした。敗戦の虚脱感から脱却し、卑屈感をかなぐり捨て上祖国日本の再建に勇往邁進せねばならない時である。一世、二世ばかりでなく日本及び日本入の肩身を広くして呉れた第四四二部隊の勲功を讃えて、精神的な立直りに資するにも此の映画は役立つと信じて疑わない。
英国のウィンストン・チャーチル卿や、ジョージ・C・マーシャル将軍が、公式に賞讃した唯一のアメリカ部隊は、勿論我が二世部隊、第四四二部隊であった。
第四四二部隊は彼等のモットー「ゴー・フォア・ブローク」を身を以て生き抜いたのであり、アメリカの歴史の一部分ともなったのである。
全戦闘中唯一人の脱走兵も無かったのが第四四二部隊、であった。尤も脱走者が二人あつたが、それはアルノ戦線て負傷入院していた二人の二世兵士が、原隊に戻る為病院を『脱走』したものであった。
第二次世界大戦休戦後も第四四二部隊員の除隊は制限された。彼等は太平洋方面の戦闘に続々志願したからである。比の映画が完成された頃にも多くの二世部隊兵士は、依然軍服を脱いでいなかった。此の映画が日本に上映されている現在でも、彼等は伝統的な勇戦を続け、尊い血を流しているに相違ないのである。