[プロダクション・ノート]
●フォレスト・ガンプの生い立ち
プロダクション・デザイナーのリック・カーターが何よりも重要視したのは、フォレスト・ガンプが生まれ育った南部の風土を完壁に映画の中に再現することだった。
なぜならば、フォレストの南部人気質が、この物語に言葉では形容しがたいユーモアと暖かみを与えているからである。彼は南部のありとあらゆる州をロケハンして回った。その結果、選ばれたロケ地は、ジョージア、ノース・キャロライナ、ヴァーモンド、メイン、モンタナ、アリゾナと各州にわたっている。
「南部はロマンティックな場所なんだと知る初めてのチャンスでした。荘厳でありながら、同時にフォレストにとってはなじみ深い場所なんですね。ここはフォレストの故郷であり、世の中がいくら変わってもここだけは変わらない。彼がどんなに波瀾万丈の冒険をした後でも戻ってこれる安心な場所なんです」とリック。
サウス・キャロライナ州イェマッシーにある8000エーカーのブラッフ・プランテーション。ここがアラバマ州グリンボウで下宿屋を営むガンプ家、フォレストの生家に使われた。コンバヒー川に沿った1キロ近くある長い樫の木の並木。その端に、撮影隊は家を建て、まるで南北戦争の頃から建っているように見せかけた。セット・デコレーターのナンシー・ハイは、この家に由緒ある家具を配し、見事、生家を再現した。
皮肉なことに、このプランテーションは、その後、ベトナムのロケ地としても使われたのだが…。
●衣裳
コスチューム・デザイナーのジョアンナ・ジョンストンとコスチューム・スーパーバイザーのパム・ワイズもこの映画の衣裳に対するヒントを南部という土地柄から得た。
「名誉を重んじ、伝統を重んじる南部の一徹さの代表であるフォレストのお母さんからまず作業を始めました。彼女は常に身ぎれいにしていて、フォレストにもこの気風と価値観を植えつけるんですね」
ジョンストンがリサーチするにあたって何よりもありがたかったのは、ディスファーマーなる写真家の写真集。
「南部の50年代初期のスタイルは、世間の40年代後半とかなり似ているんです。プリントはファッショナブルですが、女性はどんなにくだけた場合でも、常に帽子をかぶっていました」
ジョンストンは、正真正銘の40年代のプリント生地を見つけ、母親の衣裳に全部これを使用した。だが、フォレストに関しては、かなりストレートな、基本的なアメリカン・ルックが採用された。ハンクスは、この映画で89回の衣裳替えをするが、キャラクターに合わせて、特に変わったルックにはしなかったとジョンストンは語る。
「だって母親がいたら、きっとフォレストにこう言っているわ。洋服なんかそんなもんでいいのよ。なぜ、わざわざ人と違うようにしなければいけないの?」
それとは対照的に、ジェニーの衣裳は、その時代時代の最先端を行く衣裳になった。ジョンストンはこう見ている。「ジェニーは、人生でもいろいろなことをやったように、きっと何でも試してみるでしょうから」
●ルック(光)
撮影監督ドン・バージェスは、フォレストのストーリーの実録的な感じを出す部分では、撮影する際、アナモフィック・レンズ(歪像レンズ)を使用することにした。バージェスは言う。「このスタイルだと、パラレル・ワールドのように世の中と同時進行するフォレストのユニークな視点を見せながら、しかも2つの世界が共存するところを見せられるんです」
さらにバージェスは言う。「1950年代、南部でのフォレストの少年時代には、われわれはフィルターを駆使しました。ベトナム戦争時代とかジェニーの体験とか、1960年代に入るにつれて、きびきびとしたニュース・フィルムとか、かなりきついライティングになりますから、それとは対照的に、こちらはもっと柔らかい素朴な世界を出すために、フィルターを多用したんです」
美しいロケ撮影では、バージェスは映像的に画期的な方法を採用した。普通、小型飛行機が空港の位置を探り出すのに使うGPS(地球における位置を確認する衛星)というコンピュータを使用した装置を使い、バージェスは気象衛星と連絡をとりながら、どのロケ地にいても、1日のどの時点でも、正確に太陽の位置を知ることができるようにしたのだ。
「この映画は85%が日中のロケ撮影ですから、たとえばカンプ家を最初に見せるところとか、最初にキャラクターを見せるところとか、この映画の重要なところで最高のライティングをえるために、GPSは大いに力を発揮したのです」
●平和集会の再現
リンカーン・メモリアルとリフレクティング・プールで行なわれた60年代の平和集会を再現するため、撮影隊はワシントンに向かった。この時代の時の人を紹介するために、アビー・ホフマン(過激派のリーダー)、コレッタ・スコット・キング(マーチン・ルーサー・キング牧師の未亡人で市民権運動のリーダー)、PPM(有名なフォーク・グループ)、ジェリー・ルービン(ヒッピーの教祖的な存在)、スポック博士(育児書がベストセラーに、後に大統領選にも出馬)らのそっくりさんが集められた。
総勢1500人のエキストラが、ヒッピーから主婦、学生にいたるまで、ありとあらゆるデモの参加者を演じた。視覚効果のスーパーバイザーであるラルストンは、抗議デモのシーンの1500人が、いかにして何十万人に見えるようになったかを、説明している。
「我々はリフレクティング・プールのまわりにいる700人のグループをいろんな位置から撮影して、それぞれ前の位置とずれるようにします。その2つを、ポストプロダクションの段階で行なわれるデジタル・プロセスで、合成させるのです」
このテクニックを可能にするために使用されるカメラは、『ザ・シークレット・サービス』で使われ、今度の『フォレスト・ガンプ』でさらに磨きがかけられた<トンドロー>と呼ばれるカメラだ。
『フォレスト・ガンプ』は、ワシントンの市当局と国立公園課から、リフレクティング・プールの中で撮影する許可をもらった最初の映画である。このリフレクティング・プールでハンクスとライトが飛び込みをするシーンの準備のため、国立公園課とこの映画の美術部は実際にプールに入り、清掃を行なわねばならなかった。
●歴史的人物との遭遇
数週間のロサンゼルスでの撮影では、フォレストが歴史的瞬間に遭遇するシーンを撮るため、パラマウントのスタジオでさまざまな撮影を行なった。第31スタジオの一部には、いわゆるオーヴァル・オフィス=大統領執務室が作られ、ここでフォレストはかつての大統領ケネディやジョンソン、そしてニクソンと出会うことになる。このセットのすぐ後ろには、リック・カーターが作ったチャイナ・パビリオンがあり、フォレストはそこで1971年の卓球選手権の決勝戦を行なうのだ。ILMにとっていちばんやりがいのある仕事は、現存するニュース映画の歴史的なシーンに、さもフォレスト・ガンプが実際に登場するように見せる技術を開発することだった。例えば、フォレストが大統領執務室でケネディと会い、全米選抜のフットボール選手に選ばれた祝福を受けるところ。ケネディのシークェンスは、実は3本のニュース映画の別々のソースから作られている。
フォレストの姿をニュース映画の中のあらゆる影、あらゆる傷、あらゆる動きに入念に対応させ、ブレンドさせることが目的であり、そのショットをどうやって振りつけるか、どういう照明にするか(照明は他と完壁にマッチしなければならない)が、とても重要だった。60年代初期に撮影された16ミリのニュース映画は、手持ちでかなり不安定だったので、同じタイプの16ミリカメラで撮り、できるだけリアルに、ドキュメンタリー・タッチに見えるようにした。
ケネディがローズ・ガーデンでペン州立大学のフットボール・チームと会うところから第1の素材が選ばれた。デジタル・コンピュータのプロセスで、ILMはそのニュース映画からケネディの姿だけを抜き取り、ポスト・プロダクションの段階で再びデジタル・プロセスを経て、あらかじめ撮影しておいた大統領執務室のシーンにこのケネディの姿を合成するのだ。(視覚効果に使われる『フォレスト・ガンプ』のあらゆるシークェンスはビスタ・ビジョンで撮影された。このカメラに使われるネガは大きいため、デジタル処理でシーンに手を加える時、クオリティを高く保てるのだ。)
第2の素材は、最初の“平和部隊”のボランティアたちとケネディがオーヴァル・ルームで握手しているシーンだった。ハンクス、全米選抜の選手を演じる役者たち、そしてケネディの声を担当している俳優は撮影が始まる前に、ニュース映画のボランティアたちそれぞれの動きに合わせて入念に稽古をした。この撮影はブルー・スクリーン・プロセスで行なわれた。スクリーンにはニュース映画の中のケネディの動きと、ボランティアの動きに合わせるために、あらかじめ目線を示す明かりがついていた。ホスト・プロダクションの作業で、俳優たちの姿がボランティアの姿と差し替えになり、ケネディとともにスクリーンに融合することになった。
第3段階は、肩ごしに振り返るケネディの姿をニュース映画から採る部分。ケネディがボーイスカウト・オブ・アメリカから名誉会員に選ばれ、その授与式のシーンからこれは採られた。ここでもブルー・スクリーンの技術が使われ、ケネディの声優はセリフ入りで撮影され、そのセリフはシラブルにまで“落とされ”、つまりデジタル化されて、ケネディの口の部分だけが合成され、声優の口と合うようにされたのである。 |