[パンフレット] 353作品

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<ヤ行>

野獣たちのバラード
野獣部隊
山猫は眠らない
ヤンクス
要塞
夜と霧 ナチ大虐殺の記録
ヨーロッパ
ヨーロッパの解放
ヨーロッパの解放 第3部 大包囲撃滅作戦

 

ヨーロッパの解放

1970年発行
A4版40P

[解説]

第2次世界大戦の全貌を描いたこの映画は、その厖大なスケールと製作に投じた物量・エネルギーにおいて世界映画史上、類例のないもので、もはや二度と再現することの出来ない超弩級戦争巨篇である。
今回、一挙に上映する〈第1部〉〈第2部〉は戦争スペクタクルが中心になっているが、たとえば「ムッソリーニ逮捕事件・救出作戦」や「テヘラン会談」など有名な歴史的事件をあわせて、独ソ戦下のヨーロッパの激動を余すところなく描いている。また、戦争の中の人間ドラマ──〈勇気と怯惰〉〈果断と逡巡〉〈闘志と苦悩〉〈悲痛と歓喜〉〈栄光と悲惨〉の種々相を空前絶後のスペクタクルの中に織り込み、まさに一大戦争叙事詩と断言すべき作品に仕上げている。
その意味で、第2次世界大戦映画の総決算であると共に、歴史の記録としても後世に残すべき貴重な価値を持った映画と言える。
1943年の独ソ戦から45年のベルリン陥落まで全5部作にまとめあげたこの作品は、第1部がノルマンジーと共にヨーロッパの命運を決したと言われる〈クルスク大戦車戦〉、第2部は世界戦史上、最大の渡河と言われる〈ドニエプル渡河大作戦〉がハイライトになっており、第1部・第2部を通して3分の2が戦争シーンで占められている。なお、第3部は〈白ロシア大作戦〉、第4部は〈ベルリン戦線〉、そして完結篇の第5部は〈バルカン大攻防戦〉からなっている。また史実の再現に関しては厳格を極め、多年にわたって綿密な資料調査が行われた。たとえば、ドイツの〈虎〉〈豹〉戦車は、モスクワの特別工場に発注して作られ、メッサーシュミット109戦闘機はソビエトの航空機〈ラーク〉を改造して実物通りに作られた。
製作年数6ケ年、ヨーロッパ諸国に長期ロケ敢行、構想20年、登場人員3万余人、スタッフ5百人、使用フィルム4万フィート(約600時間)、使用戦器材(戦車1万台、戦闘機1千余機、大砲150門、ジープ1千台etc)、全5部の上映時間は8時間余など。製作費総額は国家からの支援分を含めて億単価を遥かに越え、兆単位という天文学的数字に達したと言われている。
時代考証については、当時この戦いに参加したジューコフ元帥、モスカレンコ元帥などソ連、ポーランド、ユーゴスラビアから約250名の将軍・参謀本部付の軍人を招集し、軍事顧問団を結成して当り、一大戦闘シーンも全部が現地ロケで行なわれた。
出演者は、若い頃のゲーリー・クーパーを思わせるソ連劇団の新人ニコライ・オリャーリン、ソ連の名優ボリス・ザイデンベルクとフセボロド・サナエフ、 「サルタン王物語」のラリーサ・ゴルーブキナ、ユーリー・カモールヌイ、「怒りと響きの戦場」 「カラマーゾフの兄弟」のミハイル・ウリヤーノフ、先頃来日したソ連劇団のベテラン、ウラッドレン・ダビードフ、「戦火を越えて」のセルゴ・ザカリアーゼの弟、ブフティ・ザカリアーゼ、東ドイツの名優フリッツ・ディーツ、「壮絶!敵中突破」のビクトル・アウデュシコ、「ネレトバの戦い」のイワン・ミコライチュック、「残虐の掟」のイーボ・カラーニらソ連、ドイツ、イタリア、ポーランド、ユーゴスラビア、チェコスロバキアら13ヶ国の映画人・演劇人が170人出ている。話題は主要人物のスターリン、チャーチル、ルーズベルト、ヒットラー、ムッソリーニがそれぞれ瓜二つの名優が演じている。
製作は世界最大のモスフイルムで、総監督にはわが国では初めて紹介されるユーリー・オーゼロフで、陸軍大佐の実戦経験者である。それだけにスペクタクルにとらわれずに、一士官と従軍看護婦の戦場で芽ばえた愛、あるいは、一兵卒の苦悩などを盛り込んでキメ細かい演出をしている。脚本はジューコフ元帥の回顧録とロコソフスキー元帥の手記をもとに書かれており、まさにソ連の国力を総結集した今世紀最大にして最後の一大戦争ドラマである。

[プロダクション・ノート]

■第2次世界大戦を描いた多くの映画がヨーロッパやアメリカでつくられたが、それらは厖大な製作費を投じ多額のスターをならべ、戦争を言葉や映像だけによってしか知らない若い世代に、単なる興味本位のスペクタクル映画として提供してきた。歴史的な真実を歪めてしまった、と批判するソ連はこの「ヨーロッパの解放」を歴史的事実の再現という立場から描こうとし、“そこで何が起きたか”を正直に客観的になんらの色づけなしに心がけたという。
そのため、この映画で描かれる歴史的なエピソード、ビスラ河とオーデル河の渡河大作戦、ベルリンの嵐、死の収容所の捕虜たちの勇敢な抵抗、テヘラン会談、ヒットラー暗殺未遂、ムッソリーニの救出……など、どれもその事件が実際に起きた場所で撮影された。
例えば、ヒットラーの総司令部があったベルリン、ローマ、ワルシャワ、南プロシャなどは、軍事顧問のフォン・ビッツレーベン大佐がようやく手に入れたナチ秘密建築物の要塞設計図によって復元された。これらの現実の場所のひとつなどは、80を数える巨大な掩蔽壕が構築されていたが、戦後そのすべてが爆破され尽していたので、その一部を忠実に再現するため何百人もの労働者が動員された
のである。
ロケ地ベルリンではこの撮影のため東ドイツ自治当局などは当然それ以前に撤去されるはずであった廃嘘をとりこわさないで、協力したということもあって、数多くのりアルなシーンの撮影に成功することが出来たのである。そこで撮影されたのはヒットラーと恋人エバ・ブラウンの燃える死体のシーンほかで、撮影は68年5〜6月の間に行なわれた。
ロケ地はパルチザンの戦闘シーンを撮ったユーゴスラビアの山中をはじめフランス、イタリア、ドイツ、ポーランド、東欧一帯の大陸のあらゆる地点で行なわれたのである。

■撮影に参加した人びとにある感銘を与えたのはチャールズ・チャップリンだった。彼は1942年のサンフランシスコのある映画人の集
まりで、こう言った。「大変に勇敢かつ堅固に祖国を守り抜いたロシア人はほとんど聖者に等しい。神に近いと言いたい。また、いまはこの戦争での主役は連合軍であるように思われているが、実際はソ連軍が真の主役だといって言いだろう──」
撮影スタッフはこのチャップリンの言葉を裏付けるようにいうのだ。米英連合軍がノルマンジーの上陸作戦に成功したとき、ソ連は東欧を支配していたドイツ中央軍団を敗走させ、14名の将軍をふくむ5万6千人の兵士を捕虜にして、ヒットラーが連合軍を海へ押し返えず力を奪い去っていたのだと。
撮影監督のイーゴリ・スラブネビッチなどはこうした歴史的事実を強く訴えるため撮影についての妥協を一切排している。例えば、助手のキャメラマンに炎上する戦車の上にキャメラをすえさせたり、ヘリコプターのハッチにキャメラを宙吊にして撮影を続けさせたりしたことは再三であった。 “すべてリアリズムてやろう”という製作方針を彼は助手たちに体で示すことを要求したのである。

■撮影には鬼大な量の軍用装備、武器、火薬を必要としたが、当時最強を誇ったタイガー戦車100台とフェルディナンド自走砲50台がモスフイルムの注文で新らたに工場生産され、ドイツの戦闘機メッサーシュミット45機がソ連の旧戦闘機LAK(ラーク)を改造して製作された。戦闘シーンの撮影に当っては40米の低空で空中戦が行なわれるので、プロ飛行士が多数集められ、危険きわまりない空中戦が撮影された。