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プライベート・ライアン1998年9月26日発行発行所:東宝(株) 定価500円 A4版24P |
[解説]■スピルバーグがもたらす今世紀最大の衝撃!100年余に及ぶ長い映画の歴史の中でこれほど激賞された映画があっただろうか、これほど魂を揺さぶる映画があっただろうか…。ノルマンディ上陸作戦は成功に終わった侵攻として広く認められている。が、実はオマハビーチの侵攻と上陸は完全なる大失敗の作戦だったのだ。嵐のようにふり注ぐドイツ軍の銃弾の前に次々と若者が倒れ、海は真っ赤に色を変えた。 映画は「ニューヨーク・ポスト」をして“その映像は非情なまでに美しく、残酷なまでに真実”と言わしめたこの衝撃的シーンから始まる。 1944年6月。第2次世界大戦の転回点となったノルマンディ上陸作戦の最中、オマハビーチの激戦を生き抜いたアメリカ歩兵師団のジョン・ミラー大尉に、軍上層部から秘かな指令が下った。「新兵ライアンを救出せよ」。 ジェームズ・ライアン2等兵は、3人の兄たちと揃って参戦した。しかし、兄たちはこの一週間内の戦闘で全員が戦死を遂げた。国と軍の決定は迅速だった。「残る1人を生きて祖国へ連れ戻せ」。 3人の兄を失った2等兵を帰還させる戦時下の過酷な任務に、ミラー以下8人の男たちが選び出された。戦闘中行方不明となった一兵士を求め、敵中深く潜入する8人の特命隊。しかし、ドイツ軍との戦闘が激しさを増すにつれ、彼らの間には、受けた命令に対する疑問が湧き出していった。 「なぜ、新兵1人の救出に8人の命を賭ける価値があるのか?」「なぜ、彼の命が我々の命より重いのか?」世界を揺るがし、人間の運命を変えた第2次世界大戦。『シンドラーのリスト』で栄光のアカデミー賞を手にしたスティーブン・スピルバーグの最新作は、観るものを再び、あの忘れ難い時代へ引き戻す。連合軍による史上最大の侵攻作戦。その陰で進行する8人の兵士による1人の兵士の決死の救出行。命と引き換えの使命とは、名誉の価値とは、そして償いの価値とは何なのか…。 スピルバーグが渾身の力を込め、戦争の残虐性と若者の悲劇を壮大なスケールで描いたこの作品に、早くもアカデミー賞最有力の声が飛び交っている。“キング・オブ・ハリウッド”。その名で呼ばれる彼が、暮れゆく20世紀に向けて放つ衝撃の反戦映画だ。 ■初めて手を組んだ2人に、早くもオスカー最有力の声オリジナルストーリーは、脚本家ロバート・ロダット(『グース』)の個人的体験から派生した。D-デイ(ノルマンディ上陸決行日)50周年の年。住んでいたニューハンプシャーの町の広場で目にしたおびただしい数の戦死者名簿。そこで彼は、幾組もの兄弟が戦死している事実に触れ、強く胸を打たれたという。 ■スタッフ・キャストが一丸となった極限の戦争描写『シンドラーのリスト』『アミスタッド』に続き、監督スピルバーグは本件でもリアリズムの極致に挑んだ。『プラトーン』『7月4日に生まれて』でも勇名を馳せた海兵隊上がりのデイル・ダイが軍事コンサルタントとして参加。マット・デイモンを除く主要キャスト全員がソルジャー・スピリットを叩き込まれた。 |
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[プロダクション・ノート]■スピルバーグとハンクスを強い絆で結んだ“壮大な人間ドラマ”「戦時の極限状態で、人間らしさなんてどうやったら見出せるだろうか?この企画に最初に魅かれたのはまさにこの逆説だ」とスピルバーグは言う。このシナリオが生まれたきっかけは、脚本家ロバート・ロダットの4年前の体験にさかのぼる。当時、“D-デイ”(ノルマンディ上陸作戦決行日)が50周年を迎え、ロダットに第2子が誕生した。「Dデイに関する本をよく読み、子供を連れての早朝の散歩が日課だったある日。町(ニューハンプシャー)の広場でおびただしい名前が刻まれた記念碑が目に入った。独立戦争以来のすべての戦争で町が出した戦死者だ。そこには同じ性がいくつもあった。兄弟で戦死しているのだ。息子1人を亡くすだけでも心が痛む。それを2人、3人と亡くすとは、どういう気持ちだったのか」 ■俳優たちの反乱を防いだハンクス「出演者全員を本物の兵士に変身させる」。スピルバーグの意を受けて、俳優たちを体力と忍耐の崖っぷちへ追い込んだのが、退役海兵隊大尉のデイル・ダイだった。「国のために戦うとはどういうことか。分からせるための方法はこれしかない」と言い切る彼は、本番開始に先立ち、全10日間の基礎訓練キャンプを設定した。「あれは人生最悪の体験だった」とエドワード・バーンズは、体重を4キロ減らした。「80キロ近い装備で雨中の行軍を10キロ。寒さで震えながら携帯口糧をむさぼり、ぼろぼろ状態で3時間ほどの仮眠にすがる。誰もここまでやるかと感じた」キャンプも4日を過ぎた頃、案の定、ハードな訓練に悲鳴が上がりだした。出演者の大半が映画から降りると騒ぎ出したのだ。『アミスタッド』の編集で現場を離れていたスピルバーグに代わって、ハンクスが説得に乗り出した。彼はダイに“待遇改善”を申し入れ、2回の“投票”を行い、最終的に全員を留まらせることに成功した。反乱を未然に防いだ彼は言う。「あまりにも酷い体験をしたせいで皆が片意地を張ってしまった。疲れ果て、家に帰りたいと思っても前進するしかない。あの日、ノルマンディに上陸した兵士の多くが置かれた状況を、ダイは悪役の汚名を被ることで実感させてくれた」。 ■全米が絶句したオマハビーチの大虐殺連合軍によるノルマンディの5つの上陸地点のうち、ドイツ軍がもっとも頑強に抵抗したのがオマハ・ビーチだ。スピルバーグ自ら“大虐殺”と呼ぶ凄惨な上陸シーンは、ノルマンディに似た地形のアイルランド南東部の海岸に再現された。2,000丁の武器が集められ、それを扱う1,000人のエキストラがアイルランド軍から徴用された。彼らの多くはメル・ギブソンの『ブレイブハート』にも参加していたベテランだった。悪天候を突いて海岸線をめざした兵士たちの命綱ともなったのが、“ビギンズ・ボート”の名でも呼ばれる上陸用船艇だ。見つけるのは困難と見られた“時代物”だが、製作のイアン・ブライスが世界中を回り、わずかに残る現物をかき集めるのに成功した。スピルバーグと撮影のヤヌス・カミンスキーは、『シンドラーのリスト』に続いてドキュメンタリー的アプローチをめざした。ハンディ・カメラを多用することで「兵士に密着した従軍カメラマンの視点」が得られ、色彩の彩度を落とすことで「当時のニュースリールの感覚」が生まれた。シャッター速度の切り換えできびきびしたアクション、リアルな爆発シーンが得られたのも名手カミンスキーならではの技だ。「オマハ・ビーチは作戦的には完全な失敗だった」とスピルバーグは言う。「現実に起こったこと、あったことをストレートに容赦なく描くことで、従来のハリウッド式戦争映画とは一線を画す」のが狙いだ。「アクション!」スピルバーグの掛け声と共に、その場は半世紀前の大戦争の現場へとタイムスリップした。「その瞬間、アドレナリンが増量するのを実感した。すべてが偽物だとわかっていても恐かった」とハンクスは告白し、バーンズは「あの日、兵士たちが何を見、何を感じたかがよくわかった」と回想する。D-デイに関する決定的著作で知られる歴史コンサルタントのスティーブ・E・アンブローズは「これまでに見た中で最もリアリスティックな戦争描写」と太鼓判を押している。 ■“実話がヒント”スピルバーグは語る1943年、5人のサリバン兄弟が日本軍の攻撃により全員が同じ船で海に沈められた。この事件をきっかけに、陸軍省は兄弟が同じ部隊に所属してはならない、兄弟の内1人は前線に出さないという法律を通過させた。そして、その次の年、4人兄弟のうち3人までが、72時間のあいだに戦死するという出来事が起こった。1人は日本軍を相手に、あとの2人はヨーロッパ戦線で…。「そこで、2等兵である4人目の兄弟を捜し出し祖国へ帰すために1部隊が送り込まれました。これがこの作品のストーリーの核となったのです」とスピルバーグは語る。 |
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