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ディア アメリカ昭和63年12月17日発行 |
[解説]いま、全米のマスコミのすべてが、「地獄の黙示録」「プラトーン」を超えたベトナム戦争映画と称賛を惜しまないのが、この「ディア・アメリカ──戦場からの手紙」である。それはなぜか。答は簡単である。この作品は、ベトナムで戦った若きGIたちが家族や親友や恋人に宛てて送った手紙をもとに構成された新形式のドキュメンタリー・ドラマだからだ。いわば、主人公は兵士たちの手紙だ。苦悩と絶望に満ちたそれらの手紙は、戦場という極限状況の中で勇気や友情や肉体的・精神的苦痛を真実の声で語りかけ、見る者に衝撃と深い感動を与えずにおかない。 ニューヨーク・ベトナム・ベテランズ・メモリアル・コミッションが出版した同名の本をもとに、新鋭のビル・コーチュリーが脚本化(リチャード・デュハーストと共同)し、監督にあたった。彼は、原作に収録されている何百通もの手紙の中から“戦争”の本質を語る60通を、トンキン湾事件から最初の捕虜帰還までの10年間を年代順に選び出した。これらの手紙は、戦争の経過とともに兵士達の意識が大きく変化していく様を淡々と物語る。60年代の初め、彼らは共産主義の侵略から世界を救うのだという使命に燃えていた。が、やがて彼らの手紙には、恐怖、苦悩、そして虚しさのみが、顔をのぞかせる。彼らはもはや、政府の甘い言葉などは信じず、果たして自分たちに正義があるのかすら、わからなくなっていく……。 更にすごいのは、それらの手紙が視覚化された映像が、戦争の真っ只中にいる兵士自身が撮った8ミリ・フィルムと、NBCライブラリーや米・国防総管秘蔵の未公開のニュース・フィルムで構成されていることである。弾丸の嵐をくぐり、傷つき死んでいった兵士たち。その臨場感あふれる映像は、手紙の現実感とあいまって悲愴なシンフォニーとなって、観る者の心を揺さぶる。 これらの手紙を読んでいるのが、いまアメリカで人気絶頂のスターたちというのも話題だ。ロバート・デ・ニーロ、マーチン・シーン、ウィレム・デフォー、エレン・バースティン、マイケル・J・フォックス、キャスリーン・ターナーなど、総勢33名。若い兵士の手紙はマイケル・J・フォックスが、退役兵士の手紙はデ・ニーロが、母親のそれはバースティンが、野戦看護婦の手紙はターナーがという具合に、スター達は書いた本人が語っているように手紙を読みあげる。 これらのスターの多くは、かつてベトナムをテーマにした問題作に出演した経歴を持つ。コーチュリー監督は製作担当の卜一マス・バードの協力を得て、まずロバート・デ・ニーロにこのビッグ・プロジェクトの参加を依頼。それを契機に、続々とスターたちが協力を申し出たという。しかも、すべての俳優が出演料をベトナム退役軍人基金に寄贈し、ノー・ギャラだった。 ビル・コーチュリー監督は、85年に「19」という曲のミュージック・ビデオを作り、全米で大ヒットさせた。これは、ベトナム戦争の実写を使用したもので、当時世界的な反響を呼んだ。 映像がきまり、ナレーションが完成すると、コーチュリーは、60〜70年代のそれぞれの時代を表現するにふさわしい音楽の収集、モンタージュにかかった。そして、ブルース・スプリングスティーンと接触して、「ボーン・イン・ザ・USA」の使用権を得た。『使ってくれ。これは彼らの歌だから……』というのが、スプリングスティーンの返事だった。 これを皮切りに、ローリング・ストーンズ、ドアーズ、ボブ・ディラン、シミ・ヘンドリックス、ザ・バンド、マービン・ゲイといったビッグ・アーチストたちが次々と協力を申し出た。彼らの音楽の使用料もまた無料であった。 ここにハリウッドの大スターと、音楽界のスーパー・アーチストたちが、ボランティアでこの映画に結集した。アメリカのスターの全員参加と言っても過言ではない。こうして「ディア・アメリカ──戦場からの手紙」は、あの「ウイ・アー・ザ・ワールド・USA・フォー・アフリカ」を遙かにしのぐ巨大プロジェクトになった。 この作品は、まず88年4月3日にアメリカHBOからテレビ放送され、大反響を呼んだ。以後、全米の劇場で公開されるという新しい興行形態をとっている。すでに、USフィルム・フェスティバルで名誉批評家賞を受賞、ハワイ・フィルム・フェスティバルでも絶賛され、アメリカ人の心に深い傷痕を残したベトナム戦争を改めて描いたばかりでなく、“戦争”そのものの存在を問い、戦い傷つけあうことの無意味さを未来を生きる人々に訴えた感動的な一大戦争叙事詩と折り紙つきの大作である。 『これは、「プラトーン」が決して成し得なかった真実のドラマだ。わが家から1万2千マイルも離れた所で戦った18歳の青年は何を感じ、何を言いたかったかを描いた人間の物語だ』と、コーチュリー監督は強調する。 現代戦の真っ只中に放りこまれて、命を散らせていった数万の若き兵士た ち。彼らの真実の声に涙すると共に、戦争の無意味さを悟らない者は決していないだろう。「ディア・アメリカ──戦場からの手紙」は強烈なメッセージを放ち心に訴える。 |
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[プロダクション・ノート]■全米のあらゆる層を代表するトップ・スターたちによるナレーション。それはまるで、兵士自身が、そして肉親が恋人が語りかけるかのように聞く者の胸を激しく揺さぶる。コーチュリー監督以下スタッフたちは、手紙を書いた兵士や肉親たち一人一人を尋ね、それぞれの年会や出身地、生い立ちなどを細かく調べ、書き手と似たような面を持つ俳優たちに出演を依頼するという地道な努力を重ねたのであつ。兵士たちの消息を尋ねるにつれて、悲しい事実もまた次々と明らかになっていった。彼らの数多くは手紙を送った直後に亡くなっていた。「故郷にいる恋人のために、必ず生きて帰らなければ……」そんな決意を手紙に綴ったある兵士は、その2週間後に亡くなった。こうした幾千もの切ないエピソードは、俳優たちの心を強く動かし、迫真に満ちたナレーションを生み出したのである。 ■この映画のために集められたフィルムは実に200万フィート。その1本1本にもまた、映画の中で記されることのなかった様々なドラマが秘められている──仲間の撮った8ミリフィルムの中でこれから戦争に出発する自分の使命について意気揚々と語る若きGlドン・ジャックス。戦場での憩いのひととき、彼はカメラに向っておどけて見せる。シャワーを浴びて尻を見せたりする。若者たちの笑い顔が画面に広がる。そして次の場面では、使命を終えたドン・ジャックスの姿が映し出される。彼の死体である。このシーンを撮ったカメラマンもまた、20分後に亡くなっている。ドン・ジャックスの映ったこれらのフィルムは、カメラマンの母親のもとに届けられた遺品の中から、スタッフが偶然見つけ出したのである。 ■ベトナム戦争に従軍した兵士たちの平均年令は19才。「殆んどの兵士は、いきなり恐しい状況に放り込まれた子供でしかなかったのです。彼らの唯一の目的は、出来れば五体満足で生きてその状況から這い出し、家へ帰ることだったのです。」コーチュリーは語る。世界中の若者はもちろんのこと、ベトナム戦争後に生まれたアメリカの若者にとっても、この戦争はもはや過去の歴史の一部にすぎなくなっている。しかし、今を生きる若者たちにこそ、同じ青春の真っ只中でベトナムにかり出された兵士たちから、戦争が奪った犠牲を知ってもらいたかったのだとコーチュリーは言う。「それは恋や友情であり、夢であり、日常のほんの小さな幸せだったかもしれません。しかしそれが身近なものであればある程、あらゆる戦争の持つ愚かさ、虚しさをより強く感じてもらえると思うのです。」 ■「僕の手紙の一通一通は、僕の見ていること全てを映しています。もしもママがその中に死を見出したなら、それを10倍してください。それがここで僕の見ている現実なのです。」──まだあどけなさの残る兵士がカメラに向って放つ虚ろな視線。この映画の中で最も強烈で不気味な映像の一つである。「私たちはこれを“1000メートルの視線”と呼んでいます。ケ・サンのような地獄を見た者にとって、そのとき瞳に灼きついた光景は二度と拭い去ることはできないのです。」ある帰還兵の言葉である。 ■87年12月、ハワイ・フィルム・フェスティバル。「ディア・アメリカ──戦場からの手紙」上映後、会場を出ようとするコーチュリーをベトナム人の審査委員長が呼びとめた。彼は涙を流し無言のままコーチュリーをきつく抱きしめた。「戦争を経験なさったのですか?」というコーチュリーの質問に答える代りに、彼は黙って自分の脚に触らせた。それは木でできた義足だった……。 |
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