1973年10月6日。
国中すべてが静寂に包まれていた

ヨム・キプール(賄罪の日。ユダヤ歴で最も大切な聖日)
その日はイスラエルにとって特別な日となった…。
ワインローブとその友人ルソは、兵役に従事することになっている特別部隊エゴズを探して、
ゴラン高原を車で走らせていた。しばらくすると国防軍のラジオ局が、非常事態宣言を告げる。
エジプト・シリア両軍が突如イスラエルに侵攻してきたのだ。これがいわゆるヨム・キプール
戦争(第4次中東戦争)の始まりだった。
ワインローブとルソがさらに車を進めると、シリア軍による爆撃音が耳を劈く。一般市民は
もとより軍人さえもが混乱し、あたりは混沌としていた。2人はメトゥーラヘ戻れという軍人の
言葉に、前線行きを諦める。
別の道へと進むと、ワインローブとルソはダマスカス進軍の基地に遭遇した。2人の部
隊は既に出た後だと知らされるものの、ダマスカス進軍に同行するのは避けて、さらに道
を進む。結局彼らはエゴズを探し出せずにいたが、翌朝、ラマト・ダヴィドの航空基地に
合流しようとしていたクロイツナー空軍医と出会う。そこで2人は本来の部隊から離れ、
空軍の救急部隊へ入ることを決める。
中尉のルソは、即座にヘリコプターでの救命任務を伴う戦闘班の責任者に任命された。
負傷兵や撃墜されたパイロットなどを救出するのが役目だ。その任務には迅速さが求めら
れたが、激しい戦闘と多大な損失に、今までは救助活動を組織することは不可能だった。
ワインローブとルソが任務に就くや、班が編成された。ルソは戦闘班にワインローブと
ガダッシを入れ、コラム大尉の操縦する"ベル2051"に乗り込んだ。副操縦士のゴビ中尉、
空挺部隊の整備兵カウチンスキー、そしてクロイツナー空軍医も同行していた。

ヘリコプターは負傷者を救出するために、ゴラン高原の戦場と病院との間で、幾度とな
い往復を繰り返していた。それが何日も続く。"ベル"は至る所へ送り込まれた。1967年の
停戦ラインやシリア軍の攻撃によって破壊された掩蔽壕、フシュニアの戦場、涙の谷、さ
らに激しい戦車戦が繰り広げられている北部へと…。
当初の興奮と熱狂は疲労と無力感、そして嫌悪感へと取って変わられた。爆音の響く中、
重症の負傷者には応急手当を施しながら運び出し、一方で息絶えた者は後ろ髪を引かれる
思いでその場に放置するしかない。負傷者をヘリコプターに運び入れると、安全な場所で
救急車に移し、病院まで搬送する。そして隊員のみとなった"ベル"は、ラマト・ダヴィド
基地へと戻っていく。機内では、様々な思いをそれぞれが胸に抱えながら。
時間の感覚は薄れ、毎日が地獄のように感じられた。今日も聞こえてくるのは、追撃さ
れた飛行機やヘリコプターの話や、死傷者の数といった話題ばかりだ。人々の苦痛の叫び
声や血、死者の姿に夜な夜な慄きながら、7人の男たちは時に打ち明け話をしたり、真摯
に恐れや不安を分かち合ったりしていた。クロイツナー空軍医は母親の思い出をルソに話
しながら、彼女の面影を追っていた。ルソはその話を聞きながらどこか落ち着く自分を感
じていた。ワインローブはかつてない恐怖心から、安心して眠ることができなくなってお
り、そんな彼をルソは落ち着かせようとなだめるのだった。

10月11日。それは、ワインローブ23歳の誕生日の翌日であった。彼らはシリア領で攻
撃されたパイロットを救出する任務を受けて、基地を出発した。負傷者を見つけ、担いで
ヘリコプターまで戻ろうとするが、泥濘に足を取られてなかなか歩を進めることができな
い。頭上では砲撃の嵐が降り注いでいる。焦れば焦るほど、自らも沼地に沈んでいくが、
やっとのことで底なし沼から這い上がる。ガダッシは恐怖のあまり錯乱状態に陥っていた。
しかし、彼らの努力も虚しく、男は既に息絶え絶えの状態で、彼を残して部隊は出発を余
儀なくされた。立ち上がることができずにその場にへたり込むワインローブたち。そんな
彼らに雨が容赦なく打ちつける。
結局パイロットをヘリコプターに乗せることができずに基地へと引き返す7人。そんな
彼らを突然、衝撃が襲った。ミサイルが直撃したのだ。一瞬何が起きたのかわからず、パ
ニックに陥る機内。副操縦士のゴビ中尉の意識は既にないようだ。警報ブザーの音が鳴り
響く中、次いで強い震動が起こり、彼らの乗ったヘリコプターは地面に叩きつけられた。
身体を起こし、煙が立ち上る機内からやっとの思いで脱出した彼らは、言葉もなく、ただ
そこにいるしかなかった…。
