第一級のエンターテイメント・キャストとアカデミー賞常連スタッフが堂々、結集。
そして、世界が待っていた伝説の天才監督の復活。

20年にも渡る謎の不在から再びマリックがディレクターズ・チェアと戻ってきたのは、ジェームズ・
ジョーンズの原作小説への強い愛着があったからにほかならない。1988年、マリックは製作者のロバー
ト・マイケル・ガイスラーとジョン・ロバルデューに脚本化のアイディアを提案。戦争文学の傑作と評さ
れる原作にマリックが施した脚色には、素朴な荒野に傷跡を残す重火器による近代戦、自然と穏やかに共
生するメラネシア住民に襲いかかる破壊力といった自然科学・人類学的環境に対する強い意識が盛り込ま
れたものだった。マリックの提案を受けたガイスラーとロバルデューは早速、原作者の未亡人と接触し映
画化権を取得。さらにマリックの友人のフェニック・スピクチャーズ会長マイク・メダヴォイと、当時
「タイタニック」の製作に携わっていたグラント・ヒルが製作参加を快諾し、世紀の記念碑的大作はスタ
ートを切った。なおジョーンズの同名小説は、64年に「大突撃」のタイトルで一度映画化されている。
監督はアンドリュー・マートン。ショーン・ペンが扮するウェルシュ軍曹役をジャック・ウォーデンが演
じていた。

当初メガホンを執る意志は無かったマリックが監督を決意するに至った背景には、旧知のスタッフがこの
プロジェクトに喜んで参加を申し出たことが大きく関係している。プロダクション・デザイナーのジャッ
ク・フィスク、編集のビリー・ウェバー、キャスティング・ディレクターのダイアン・クリッテンデンら
はマリックの過去2作「バッドランズ」「天国の日々」のスタッフでもある。20年振りにマリックと再会
を果たしたジャック・フィスクは「テレンスが映画を作ると聞いて、他の誰かがデザインを手掛けるかと
思うと私は嫉妬した。」と本作への強い想いを語っている。さらにこのチームには、撮影ジョン・トール、
音楽ハンス・ジマーというオスカー常連の最強スタッフが加わることになる。

「これほどまで大勢の多彩な俳優たちが大小にかかわらず喜んで役を引き受けてくれた映画を思い起こす
事はできない。」製作総指揮を務めるジョージ・スティーヴンスJr.は語っている。「それには二つの理由
がある。一つは皆がストーリーを気に入ったこと。もう一つは各人がテリー・マリックとの仕事を切望し
たからだ。」事実、ウディ・ハレルソンやジョン・キューザックはその出演理由を問われて、真っ先に
「テレンス・マリック!」と答えている。その他にも、出演シーンはないもののエンド・クレジットで謝
意が贈られている中にはビル・ブルマン、ビリー・ボブ・ソートン、ルーカス・ハース、ミッキー・ロー
クらの名前がある。

1997年6月23日に撮影開始。その多くはガダルカナル島と地形・植生が似ているオーストラリア・クイ
ーンズランド州で行われた。草原の戦闘シーンを維持するため、美術スタッフは5ヶ月もの間、草を育て
続けた。しかし近くに牧場があるこの地では特別な要求が強いられた。「我々は絶えず牛達を隠し、彼ら
が‘セット’を食べるのを防がなければならなかった。」と、ジャック・フィスクは回顧する。美術スタ
ッフのチャレンジはそれだけではない。過去の衣装・小道具が不足していたため、彼らは7機の飛行機、
2,000着の軍服、ライフル、テントさらには臨時滑走路、農園までもを含むあらゆるものを一から作り上
げたのだ。

ガダルカナル島での撮影は本作の中で最も重要な位置を占めている。ストーリーのテーマを迫るため、
また、その地の文化的財産を描写ため、島の最深部での撮影は製作前段階ですでに決定していた。島はキ
ャプテン・クックの昔から変わらぬ様相を呈している。それは、この地がマラリヤの発生率世界一であり、
結果、貿易や観光が盛んではないことに起因している。ドキュメンタリー・カメラマンを含む製作班はそ
こで、当時とほとんど変わりなく残される塹壕や戦場のほか、メラネシアの文化を示す貴重な映像を手に
入れる事ができた。

 

(「シン・レッド・ライン」プレスシートより)

 

 

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