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SPR批評2:ポール・ワンダー (翻訳:ジェイさん)


スティーブン・スピルバーグの新しい映画を見るために、2500マイルの空の旅をして、午前零時から始まる試写会に駆けつけた。6月27日、土曜日のこである。しかし、私の体内時計は午前3時を指していた。

こんな状況で試写に臨むのは始めてだったが、こんな映画に出会ったのも、全く始めての経験だった。 SAVING PRIVATE RYANが、私が今までに見た最高の映画であるかどうかは定かではない。しかし、この映画が、今までに見たどの映画よりも私を揺り動かしたことは間違い無い。もしも、SAVING PRIVATE RYANが、今年の(そして恐らく過去10年間の)最高の映画だということが認められなかったなら、モーション・ピクチャー・アカデミーには、正義も常識も無いということになるだろう。

20年ほど前のことだ。誰かが、私に、雑誌ハスラーに載った記事を見せたことがある。記事のタイトルは、「これこそ本当の猥褻」となっていた。その見出しの下に、何とも訳の分からない写真が掲載されていた。ちょっと見た限りでは、何か、赤いオートミールのような感じだった。しばらく見ていたが、依然としてその写真が何であるのか分からない。ところが突然、それは真っ赤なよどみの中に浮いている人間の眼球であることに気が付いた。

途端に吐き気がした。それは、ベトナムで、迫撃砲の直撃を受けた後の、兵士の残骸だったのだ。それまで私は、こんな戦争写真を見たことが無かった。我々の目に触れる戦争のイメージは、いつも消毒済みのものだけだったからである。まるで、マスコミの間で、戦争を美化して、受容可能なものにするための巨大な世界的な陰謀が張り巡らされていたように感じられた。

そのとき、こう思った。一体フィルムメーカー達は、この現実を知っているのか?答は思い浮かばなかった。勿論、髪の毛が逆立つような戦争の恐怖は、戦地から帰った軍人達から話には聞いていた。しかしどういう訳か、そうした恐怖がスクリーンの上で曝け出されたことは無かった。それが、ミスター・アンド・ミシズ・アメリカの意識に上ることは、決して無かったのである。

その陰謀(そういった物が有ったらの話だが)も、ミスター・スピルバーグの傑作が封切られるとき、止めを刺されるだろう。1944年の6月6日に、我が国の兵士達がオマハ・ビーチで味わった恐怖と残虐について、我々は皆、学校で教えられた。しかし、いつもは映画などより遥かに強力な「言葉」も、戦争の実態を伝えることだけは出来なかった。

あなた方がこれまでに戦争について何を聞き、何を見てきたとしても、このスピルバーグの映画の冒頭のシーンの衝撃の前には全く無力である。スピルバーグという、映画作りの達人が、最新の製作技術を駆使して創り出した映像に触れ、ステレオ音響システムを通して弾丸が頭の横をかすめ飛ぶ音を聞くとき、あなた方は、生まれて初めて(実際にその場に居た経験が無い限り)、戦争の実態を目撃するだろう。 実際、その恐怖は耐え難いほどに強烈で、その惨たらしさはぞっとするほどにリアルだ。いかに神経の太い人間でも、瞬時にしてショック状態に陥るだろう。私は、この、SAVINGPRIVATE RYANの冒頭のシーンの衝撃から完全に立ち直ることは、今後、絶対に、絶対にできないだろう。

勿論、最終的に、アメリカ軍は上陸に成功する。そして、物語はそこから、「本題」に入ってゆく。軍当局によって、数日間の間に、4人のライアン兄弟のうちの3人までが戦死したことが発見される。彼等の母親に、どのようにしてこの悲劇を伝えたら良いのか?陸軍の将軍達の中に、この母親に対して、3人の息子が戦死しました、4人目は所在も分かりません、などと言える者が居るのか?かくして、「いかなる犠牲を払おうとも」、ライアン兄弟の最後の一人を探し出して、母親のもとに送り返せという命令が下る。

この命令を受けるのが、トム・ハンクスが演じる一人の大尉である。彼は、何人かの男達を選抜して、ライアン兄弟の最後の一人を探し出し、連れ戻さなければならない。さて、そのトム・ハンクスだが、彼は私の好きな俳優の一人である。しかし、「ガンプ」を見た後では、彼が、ミラー大尉の役を演じるというのは、正直なところ、どうしてもぴんと来なかった。恥ずかしい限りである。スピルバーグの素晴らしい演出のもと、ハンクスは、余りにもパワフルで、余りにも真に迫った演技を見せる。私の批評などでは、到底、正当に評価などできないほどだ。同じことは、他の全てのキャストについても言える。エドワード・バーンズが見事な演技をするなどということが想像できただろうか?ところが、彼は、実に見事な演技をやってのけている。彼だけではない、この記念すべき映画では、他の俳優達の誰もが、そして俳優達の演技以外の全ての要素も、見事に光り輝いているのである。

8人の兵士が陽光の下を歩き始めると、これまでの戦争映画で描かれた定番的なシーンの殆ど全てが、同じように展開される。ところが、スピルバーグの天才的な演出力のお陰で、それらのシーンのどれもが、それぞれ一個の強力な作品に生まれ変わる。中だるみは一切無い。この、驚嘆すべき映画の2時間45分の上映時間中絶えず継続する、「不意に訪れる瞬時の死」の重圧感は、殆ど耐え難いものだ。この映画には、息のつけるような滑稽な瞬間は一つも無い。観衆には、打ちのめされた感情を立て直すことのできるチャンスは与えられない。一般市民が、これ以上に「戦争」という悪夢に身近に接することは不可能である。

映画が終わりに近づくにつれて、私の頭の中を占領し始めたのは、泣いてはいけないぞ、他の批評家達が居るのだから、しっかりしなくては、という思いだった。しかし、私の周囲で、むせび泣きの声が高まるに従って、私も彼等と同様、涙をこらえきれなくなった。多くの人達の中には、スピルバーグは泣かせるためのツボを心得ているだけのことさ、と言う者もいるだろう。そうした声に、私はこう答えたい。「だから何だって言うんだ?」それが映画の全てではないか。私が映画を見に行くのは、感動したいからなのだ。SAVING PRIVATE RYANは、これまでに私が見たどの映画よりも大きな感動を私に与えてくれたのである。

この映画は、ショッカーである。「西部戦線異常なし」以来(あるいはそれさえも含めて)、映画に表現された最も強力な反戦の主張である。但し、私は警告しておきたい!この映画は、あなた方の心の中に、長く、長く残るだろう。多くの人は、この映画を見て、吐き気を催すことすらあるだろう。しかし、そうあるべきなのだ。なぜなら、戦争とは、吐き気を催すべきものだからだ。

SAVING PRIVATE RYANと SCHINDLER'S LISTでは、どちらがより優れた映画か。この問いは、人々の中で、間違いなく湧き起こるだろう。私見だが、SCHINDLER'SLISTは、悲劇として、そして戦争犯罪として、世界的に認知されている一つの事件を描いている。 SAVING PRIVATE RYANは、「最後の偉大な戦争」と呼ばれ、英雄的な出来事と見なされてきた、一つの戦争の実態を描いている。 このことを前提として、私は、 SAVING PRIVATE RYANの方が、遥かに強力で、重要な映画だと感じる。

この10年で、最も強力で感動的な映画。 紛れも無く強烈な天才の作品。

・・・見逃してはならない。

 

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