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SPR批評:デイビッド・ポーランド (翻訳:ジェイさん)


「大喝采」
デイビッド・ポーランド

 先週、モOut of Sightモ(スティーブン・ソダーバーグ監督作品。恋愛もの。ここでは、この映画についての批評は訳しません。)と、モSaving Private Ryanモを見た。そして、movieとcinemaの違いを、改めて思い知らされた。映画は、巨大な制作費と広告費をむさぼる、単なる娯楽のための商品以上の存在になり得る。芸術になり得るのだ。二人の監督は、このことを実証した。二人のスティーブン --スピルバーグとソダーバーグ--である。二人とも、時代の流れに敢えて逆行することによって、かえって映画という表現形態を前進させた。芸術を達成したのだ。この2本の作品は、永らく人々の心に残るだろうモX-Filesモが数多くのmovieの中の一本となり、モGodzillaモやモArmageddonモがビデオショップの棚に並ぶ商品の一つでしかなくなった後も、この2本の作品は、生き続けるだろう。

(中略)

 スティーブン・スピルバーグのモSaving Private Ryanモ。これを見て、深い感動を覚えないでいることは不可能だ。この映画の冒頭でスピルバーグが創り上げた戦闘シーン。未だかつて、これほど生々しい戦闘シーンは絶対に無かった。耳に襲いかかる戦いのサウンド一つをとっても、その力は圧倒的である。その上に男達がばたばたと死んでゆく光景が繰り広げられるのだ。断っておくが、この映画では、死は簡単にはやって来ない。この上陸シーンでは、頭に銃弾を受けての即死が、殆ど救いに見える。周囲に死が踊り狂う世界。その中で、人間性という感覚が、果たして維持できるだろうか?そんなことは不可能だ。観衆もそれを実感するだろう。この描写は、明らかに意図的に行なわれている。上陸シーンが描き出す、戦争の衝撃。それは、5人の兵士達にとって、ライアン一等兵救出の旅以上にリアルだ。スピルバーグは、この凄まじい衝撃を観衆に伝えようとしている。

 上陸が一段落すると(このときは、本当に救われた思いになる。)、観衆は、この映画には色彩が感じられないことに気付くだろう。これも、スピルバーグは意図的に行なっている。色彩の殆どを殺してしまうことで、戦争を生き残った記録映画の感じを出そうとしているのだ。これは決して、芸術ぶって奇をてらったのではない。観衆が、特に意識せずとも、新しい目で見ることができるようにするための芸術家としての彼の手法なのだ。モSaving Private Ryanモは、暴力讃美の映画ではない。戦争における英雄的行為を描くものでもない。 絶対の真実を語ろうとする映画なのだ。第二次大戦中、自己の命を捧げることで、今日のアメリカ(良しにつけ悪しきにつけ)を可能にした男達に、最大の敬意を払おうとした映画なのだ。スピルバーグは、現存する、ありとあらゆる映画製作の技法を駆使して、この目的を達成しようとした。そして、ものの見事に成功しているのである。俳優達の演技も強力だ。アカデミー賞の最有力候補になることは間違い無い。この点では、モOut of Sightモも遠く及ばないだろう。

 しかし、この2本の映画と二人のフィルムメーカーは、共に、映画の歴史と、過去の映画が今日の映画制作のために残してくれた貴重な遺産を深く理解している。金に糸目をつけず、コンピューターグラフィックスにものを言わせて驀進する今日の風潮の中にあって、ノミで岩を刻むようにして映画を作る者は数少ない。しかし、この二人はそれをやっている。勿論、最新の技術も使ってはいるが、それは、必要最小限に留めている。彼等は、画家が絵を描くように物語を創り上げる。彼等は、観衆を掴んで、未知の旅にいざなう。そのいざないは自然で、決して作為的な仕掛けを見せたりはしない。そして、彼等の開く旅路は、美しいものだ。cinemaの芸術に触れたとき、私の心は高らかに歌う。先週、私の全身の血管は、高らかなアリアで満たされた。

1998年7月1日

 

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