[戻る]

 

Rolling Stone Magazine (翻訳:ジェイさん)


"Saving Private Ryan":スピルバーグの戦争大作

映画は爆発的に始まる。登場人物の性格や物語の背景を設定するチャンスなど無いまま、スピルバーグのSaving Private Ryanは、観衆を、戦闘の真っ只中へ放り出す。D-Day、1944年6月6日。連合軍による、ナチ占領下のフランス、ノルマンディー海岸のオマハ・ビーチ上陸作戦。全ては、トム・ハンクスが演じる、ジョン・ミラー大尉の肩に掛かっている。ハンクスの演技は、骨太で、完成度の高いものだ。ミラーは、吐くことしかできない兵士達を、海中の重い砂地から、ビーチに引っ張り上げなければならない。しかしそのビーチは、迫撃砲弾の炸裂で充満していて、結果は確実な虐殺だ。この描写で、スピルバーグは、一切手加減をしない。手足が吹っ飛ぶ、血管が血を吹き上げる、兵士達は、恐怖と混乱の中で叫び声を上げる。余りの阿鼻叫喚。耐え切れなくなった大尉は、目前の任務に焦点を合わせるために、意識的に周囲から自分を切り離そうとする。このシーンでは、不気味な静けさが感じられる。「シンドラーのリスト」でアカデミー賞を受賞した、撮影担当のヤヌツ・カミンスキーは、実に見事に、執拗なまでの生々しさで、この惨劇を捉えている。殆ど30分の間、スピルバーグは、戦争のカオスの、恐ろしいイメージで我々を殴り続ける。この冒頭の上陸シーンは本当に偉大だ。

しかし、Saving Private Ryanは、偉大な映画ではない。偉大になろうとした映画だ。痛いほどに、偉大になろうとした映画だ。 その精神は充分に感じられるし、必要な才能も結集している。しかし、落下傘兵ジェームズ・ライアン(マット・デモン)の救出の任務のために、大尉が8人の分隊を率いてゆくというストーリーそのものは、作為的で、センチメンタルで、極めて常套的だ。冒頭の突撃の絶望的なまでのリアリティーの後、映画は、いつも通りのハリウッド・スピリットに冒されてしまう。これまで、ファミリー向けの映画で知られてきた、ロバート・ロダットの脚本は、かび臭い第二次世界大戦映画のありきたりの手法を、それらにまだ、みずみずしさが残っていると信じているかのように使っている。もう、干からびてしまっているのに。

だが、俳優達は、与えられた型通りの役を、堂々と演じ切っている。ハンクス以外で、この映画で最高の演技を見せるのは、トム・サイズモアだ。彼は、これまで、不当に低く評価されてきた俳優で(「True Romance」を観れば、彼の実力が分かる)、これまで出演した作品も(「The Relic」、「Wyatt Earp」など)、ろくなものが無かった。ホーヴァース軍曹役で、サイズモアは、大尉の心根の優しい相棒という平凡な役柄に、意外性と猛々しさを吹き込んでいる。ジェレミー・デイビスのアッパム伍長も見事だ。何の準備も無いまま、いきなり戦闘に放り込まれる小心な通訳の役である。その他の役柄は、単純なものばかりだ。エドワード・バーンズは、リーベン一等兵を演じる。恐怖を減らず口の背後に隠そうとする、ブルックリン生まれの男の役だ。その対極の、冷静沈着型の衛生兵、ウェードを、ジョバンニ・リビジが演じる。まあ、こういった感じで、その他の役も、人種と出身地のチェックリストのような展開になっている。バリー・ペッパーが演じるのは、ジャクソン一等兵。狙いを定める前に聖書の一節を暗誦する、南部出身の狙撃兵役。ヴィン・ディーセルはカパルツォ一等兵。イタリア系のタフガイ。アダム・ゴールドバーグはメリッシュ一等兵。ユダヤ系で、当然のことながらナチを憎んでいる。彼が何かしでかしそうなのは、目に見えている。

一番奇妙なのは、物語の核心自体がしっかりと伝わってこないことだ。ミラー大尉と彼の分隊がライアン一等兵の救出に派遣されるのは、ライアンの3人の兄達が戦死したからである。GI達は、一人の男の命を救うために、自分達の命を危険に曝すことに納得がゆかない。しかし、ライアン夫人に最後の一人の息子まで失わせてはならないと、ワシントンの権力者達は決定する。この脚本は、サリバン兄弟にまつわる実話に基づいている。彼等は、海軍の水兵で、同じ船に勤務していたが、1942年に、日本軍の魚雷攻撃で全員死亡したのだ。(彼等の伝記映画、「The Sullivans」は、1944年のヒット作品になった。)「The Sullivans」とは違って、Saving Private Ryanは、一度として、ライアン兄弟の交流の場面を見せない。ライアン家の様子は、ジェームズ・ライアンが大尉に語る思い出話の中で紹介されるだけだ。映画の後半で登場するデモンは、少々行き過ぎな感じがするほどに、スターとしての輝きをもってライアン一等兵役を演じている。それでも、人物の性格を描写しようとすれば、実際の場面が必要だ。スピーチで代用できるものではない。因みに、主だった登場人物には、全員、モノローグのシーンがある。そして、スピルバーグは、モノローグの場面では、戦争の騒音を消している。この演出の手法は、映画のペースを殺してしまっている。

ハンクスの演技が一番効果を発揮するのは、静かな場面だ。大尉の部下達は、大尉が、戦争前に、どのような人生を送っていたのか、想像する。答えは、予想通り、涙を誘うものだ。同様に、映画の終わりの、現在の戦争記念碑への再訪のシーンも、涙ものである。こうした、感傷的な脱線にも拘わらず、ディテールを描き出すスピルバーグの腕は、鈍ってはいない。自分のことを顧みずに、子供だけを助けようとする父親に対するフランス人の子供の怒り。自分に人間は殺せないのではないかという、ある兵士の恐れ。Saving Private Ryanには、確かに、優れた作品が持つ輝きが閃いている。しかし、偉大たろうとする野心的な作品には、持続的な、啓発的な光がなくてはならない。

 

[戻る]