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ロサンジェルス・タイムス記事(翻訳:ジェイさん)


極限状況の中の人間:
スティーブン・スピルバーグのD-Dayドラマ、モSaving Private Ryanモは、第二次世界大戦のモcitizen soldierモ(市民兵士)の激闘を描く作品である。

イギリス、ハットフィールド(HATFIELD)。外では戦争が起こっているのに、スティーブン・スピリバーグは全く気にしない。

小さな、テントのような小屋。三方がキャンバスで囲われ、大きな板がフレームにもたれかけられて、爆薬の炸裂、迷い弾、飛び散る破片から内部を保護している。その小屋の中で、スピルバーグは4台のモニターに目を凝らす。

それぞれのモニター・スクリーンの上には、カメラマンの名前が書かれている。
デイビッド、シェイ、ミッチ、クリス。「アクション!」スピルバーグが叫ぶ。一番大きなスクリーンに第二次世界大戦期のドイツ軍の戦車が突進して来る姿が映し出される。
戦車は、バズーカ砲の直撃を受けて爆発する。

他のスクリーンでは、アメリカ兵が、ドイツ兵と白兵戦を繰り広げている。米兵の一人の軍曹の拳銃が作動不良を起こすが、何とか敵兵を打ち倒す。しかし同時に脇腹に被弾し、罵りの大声を上げる。

いずれのスクリーンも、色々なアクションで一杯。訓練を受けていない目では、何から注目すべきか、判断ができないほどだ。しかし、スピルバーグは的確に問題点を指摘する。「4台のうち、3台はOKだ。しかしトム(負傷する軍曹を演じるトム・サイズモア)は、作動不良が起こった後、もっと何度も引き金を引かなけりゃだめだ。」

小さなバンカーの中で、スピルバーグを取り囲んで立っているスタッフ達は皆、同意してうなずくが、同時に心の中で自問する。スピルバーグは、一体どうやって、これほど多くのビジュアル・イメージを一辺に吸収して、即座に判断を下せるんだろう?

彼はただ肩をすぼめてこう言う。「要するに、4つのモニターを全部一度に見るだけのことだよ。このシーンはリアルタイムで撮っているんだ。ドラマが3つ起こっていて、それと同時に戦車の周辺で別のことが起こっているというだけ。コンバット・カメラワークとでも言うかな。」

スピルバーグは、再びモニターに注目する。「この映画が完成したら、テレビの生番組に転向しようかな。」にやりと笑って、「この映画は、キャロル・バーネットの特別番組だと思えば良いのさ。」

ロンドンの北20マイルに築かれた巨大なオープン・セット。専用の滑走路を持つ、かつての航空機製造施設。バンカーの外の様子は、とてもキャロル・バーネットの特別番組などといったものではない。 優秀な制作チームが、D-Dayと、連合軍の英雄的なノルマンディー上陸作戦の戦火に荒れ果てたフランスの村を、1944年当時そのままに再現している。

この架空の村、ラメールには、爆撃で破壊された教会がある。通りには、焼けこげた戦車がうち捨てられ、電柱は右に左に傾き、商店の大半も瓦礫と化している。実際、そこら中瓦礫の山といった状態だ。住宅の壁は吹っ飛び、壁紙や、家具や、壁に掛けられた絵などがむき出しになっている。凄惨な光景だ。

俳優達と、何十人ものエキストラ達が、米独両軍のカーキやオリーブドラブの軍服に見を包み、セットの中を動き回っている。どの顔も汚れ、血にまみれたメイクアップをしている者もいる。八月の猛暑の中、誰の顔も疲労困ぱいといった表情だ。

スピルバーグの、制作費6500万ドルの新作、"Saving Private Ryan," は、歴史的なD-Dayのオマハ・ビーチの白昼の上陸作戦を背景としている。 公開は7月24日。主演はトム・ハンクス。呪われた作戦に挑む、8名の兵士の部隊の指揮官、ジョン・ミラー大尉を演じる。この部隊は、 4人兄弟のうち3人までが戦死して残った最後の一人の落下傘兵、ジェームズ・ライアン一等兵(マット・デモン)を救出するために、敵地の奥深くに進攻しなければならない。

「この映画のストーリーは、事実そのものという訳ではないんだ。」スピルバーグは語る。「実際に起こった出来事に基いた話なんだよ。」

1943年、同じ船に乗り組んでいたサリバンという名の五人の兄弟が、全員戦死するという事件が起こった。その後、国防省は、兄弟が同じ部隊に配属されることを禁じた法律を制定する。ところがその翌年、もう一つの家族の4人兄弟のうち、3人までが、72時間の間に戦死する。一人は太平洋の対日戦線で、二人はヨーロッパの対独戦線。いずれも配属された部隊は異なっていたが、悲劇は防げなかったのだ。

「そこで、軍当局は、一つの部隊を派遣して、4人兄弟の最後の一人の一等兵を救出して、故郷に連れ戻す作戦を決行した。」スピルバーグは続ける。「ここまでが本当の話で、そこから、一つの道徳劇(注:morality play。14世紀から16世紀に英国で流行したものです。)を組み立てたんだ。」

道徳劇? 実際、この映画は、道徳劇と言っても良いだろう。 ロバート・ロダットとフランク・ダラボントが協同で執筆した脚本は、ミラーに与えられた使命そのものの性格に疑問を投げかける。「問題は、自由の代償とは何か?ということなんだ。」スピルバーグは言う。「ライアンを助けることで、戦争の終結が早まるのか?それとも、救出についての記事がStars and Stripesの第一面に載れば、銃後の市民の士気高揚に役立つというのか?ミラー大尉の部隊の兵士達はどう感じたのか?彼等は、一人の命を救うために、自分の命を投げ出すことを厭わないだろうか?どれも、切実な問題なんだ。」

こういったテーマだから、この映画の主人公達は複雑な性格の持ち主である必要は無いのだと、トム・ハンクスは考えている。「我々が、最初から語り合ったのは、市民兵士という概念だった。職業軍人ではなくて、モ時代の要求に答えたモ男達ということだね。ミラー大尉がその典型で、指揮官という立場には居るけれども、本心は、早く戦争に勝って故郷に帰りたいということだけなんだよ。実際、彼には、特に秀でたところは何も無い。平凡な男なんだ。」

俳優のエドワード・バーンズも同じように考えている。「僕の役は、リーベンといってね、口の達者なニューヨーカーなんだ。この男は、この作戦に価値は無い、ライアン救出なんて、時間の無駄だって、皆を説得しようとする。実際、僕自身、同じ部隊に居て、見も知らぬ男の命を救うために、友人達の命を危険に曝せと言われたら、どう感じるか分からないと思う。その男の他の3人の兄弟が全員戦死したとしても。」

デモンも、ライアン一等兵は、何よりもまず、一つのシンボルだと考えている。「ある意味では、彼は、兵士みんなにとっての兄弟なんだと思う。つまり、誰だって生きて
故郷に帰りたい、その希望の象徴だね。その象徴性の方が、彼自身がどういう人間かということよりも重要なんだよ。」

デモンの抜擢は、"Saving Private Ryan." という作品そのものにとって、一つの賭けだった。彼は、将来有望な俳優とは思われていたが、彼の名が一躍有名になったのは、モGood Will Hunting" と "The Rainmaker"がヒットしてからで、この映画の撮影中は、まだ無名だったからである。

"将来を予見したような配役だったね。" スピルバーグは語る。 "マットは今や大スターだけれど、今も全く鼻に掛けたところがなくて、紳士的だ。ナイスガイがトップに登りつめることもあり得るんだということの、輝かしい例だと思うよ。」

俳優達にとっては、監督スピルバーグの仕事ぶりを間近に見られること自体が魅力なのではないかと言うこともできる。"Saving Private Ryan" に出演する俳優のうち、5人は脚本を書いた経験がある。そのうちの4人は、監督をした経験もあるのだ。 ハンクスは、 "That Thing You Do"の脚本執筆と監督の両方を担当した。バーンズは、3本の映画で、脚色、監督を担当すると共に、自らも出演している。アダム・ゴールドバーグとヴィン・ディーセルも同じ。もちろん、デモンも、"Good Will Hunting"の脚本の協同執筆者としてオスカーを獲得し、自らも出演している。

「映画監督をもって自認する人は沢山居るけれど、彼等と言えども、スティーブンの仕事の速さには脱帽せざるを得ないよ。」ハンクスは、全く恐れ入ったという表情でこう語る。「僕達の多くは、スティーブンの映画作りが見たくてこの映画に出たんだ。多分、入学可能な最高のフィルム・スクールだろうね。素晴らしい夏休みを経験したと思う。何しろ、フランスを解放したんだからね。」

デモンは、スピルバーグが頭の中で同時に沢山の情報を処理できることに驚嘆した。「これだけのスケールの映画を撮影しながら、同時に編集もやってのけるんだよ、彼は。」信じられないというように首を振りながら彼は言う。」「それでいて、使うフィルムの量は本当に少ないんだ。フランシス・フォード・コッポラと一緒に仕事をしたときは、("The Rainmaker"のときのことである)この正反対だった。撮影したフィルムと、実際に使われたフィルムの比率は、58対1にも達していたのではないかな。」

「この映画の場合は、4対1くらいかな。」スピルバーグはこう見積もる。「僕にとって、この10年で一番低い比率だ。撮った分が使えなくなるのは、特殊効果の失敗が主な原因だね。爆薬、銃火、武器の作動不良などだ。最初のテイクでそうしたトラブルが70%あったとしても、何とかなる。マスターの中で、気に入らないところがあっても、他の角度から撮影した分で何とか挽回できるからね。」キャストと撮影クルーが昼食の休憩に入ると、彼は、午前中に撮影したシーンの編集を、編集担当のマイケル・カーンと一緒に済ませてしまう。カーンは、スピルバーグの作品にはなくてはならない存在だ。「僕はいつもこうするんだよ。」スピルバーグは語る。「こうすれば、手を入れておくべきところは、 後で問題になる前に全部処理できるから。」

「この映画ではね、戦場カメラマンのフレッシュな視点を、僕自身が経験したかったんだ。予め、戦争はこういうものだという観念をもって映画をつくるということは避けたかった。おかげで、随分リアルな仕上がりになったと思う。」

スピルバーグは、撮影担当に、「シンドラーのリスト」でオスカーを受賞した、ヤヌツ・カミンスキーを起用した。スピルバーグは彼に、あの映画のときと同様、手持ちカメラを多用するように指示している。

「全体の半分は手持ちカメラの映像だ。ここでも、僕は、実戦での映像を再現しようとしている。 手持ちのカメラは、実戦さながらのドラマの緊迫感を本当に高めるんだ。 中カメラを逆さにして放り投げるなんてことも何回かやったよ。戦場カメラマンが、勇気を奮い起こして塹壕から出て、落としたカメラを拾いにゆくときの感じを出すためにね。」

観衆は、"Saving Private Ryan"を受け入れるだろうか ? 完成した映画を見たスピルバーグは、この最大の問題について、少し用心深く、こう語った。「楽観的ではある。少なくとも僕自身は、これまででも最高の満足感を感じたことは確かだ。」

彼は、モAmistadモの評判が今一つ良くなかったことと、あの映画が物議をかもしたことについて、正直に失望したと認めている。「映画そのものより、映画に対する訴訟事件の方が大きく取り上げられたのだから。(奴隷問題のような)重要なテーマが、訴訟というスキャンダルによっていとも簡単に無視されるなんて、恥ずべきことだ。これまで12本の映画を作ってきたけれど、あんな経験は初めてだった。」

スピルバーグにとって、"Saving Private Ryan" は、戦争をテーマとした4本目の作品になる。 "1941"、 "Empire of the Sun" そして "Schindler's List" は、作風は異なるが、いずれも戦争映画だ。 「そうだね、恋愛と戦争以上にドラマチックなものは無いからね。ラブストーリーにしても、戦争の物語にしても、カオス的なクライマックスは似通っている。両方とも、最高のテーマだ。」

彼は、この映画を作り当り、特に過去の戦争映画を意識はしなかったが、彼自が「崇拝している」作品が数本あると言っている。これらは、ウィリアム・ウェルマンの "Battleground" (1949)と、ルイス・マイルストンの3本の作品、"All Quiet on the Western Front" (1930)、 "A Walk in the Sun" (1945) そして "Pork Chop Hill" (1959)だ。「ルイス・マイルストンは、戦争映画史の中でも最高の作品を3つも作っている。僕は彼の熱烈なファンなんだ。」

彼のこのコメントは、映画の出来上がりを想像する上でのヒントになる。マイルストンは、流れるような、よどみの無いカメラワークと、パワー、辛辣さ、そして戦場の男達を描く物語の真実性とで知られた監督だ。 "Saving Private Ryan" の最初の25分は、D-Dayの上陸シーンだが、これは、同じシーンを再現した今までのどの映画よりも凄惨である。

「さらっとした第二次世界大戦映画にはしたくないということだけは、最初から考えていた。」スピルバーグは語る。「戦争はhorrorだ。オマハ・ビーチの残虐とカオスの模様の幾分かは、戦場カメラマンが映像で記録している。最初の25分間は、映画監督として僕にできる全ての方法を駆使して、可能な限り正直に上陸の現場を再現しようとしたものだ。」

「第二次世界大戦の頃、ハリウッドは、銃後の市民の感情を傷付けることを避けて、逆に鼓舞するような映画を作った。無駄な犠牲など一人も無いということを示そうとして、ジョン・ウェインという、ある意味では架空のキャラクターを創り出して、戦時国債を売ろうとしたんだ。映画は、戦闘の現実を正直に描くことを許されなかったんだ。」

「戦場に赴くというのは、人生の中でも本当に圧倒的な経験なんだよね。」泥まみれの顔で、額に血のりが付いたままのハンクスは、あたかも自問するように語る。「第二次大戦の世代の人達が余り多くを語ることができないのも、無理の無いことかもしれない。
考えてみれば当然だよ。人間の神経が、あれほどのストレスに耐えられるものかどうか。
悲惨を目撃するだけではなくて、自分自身がそれをやらなければならないんだから。
この映画の中で、僕が演じるミラーが、自分の指揮の下で何人の人間が殺されたかを語るシーンがあるけれど、それは、本当に惨いことだったに違いない。同時に彼は、心の中で、自分が殺した人間の数も数えているかもしれない。その多くは、18歳か19歳の少年だったんだ。」

セットでは、スピルバーグが、戦車がバズーカ砲の直撃を受けるシーンの3回目のテイクに取り組んでいる。サイズモアの演技はパーフェクトだった。ドイツ軍の銃弾を受け、苦痛に転げ回り、大声で罵り続ける。しかし、戦車に取り付けられた爆薬は発火しなかったのだ。

「トム、君は凄く良かった。でもね、爆薬が発火しなかった。」問題のシーンを映し出すモニターを見ているサイズモアに、スピルバーグが語りかける。「もう一度やりなおさなくてはならない。」サイズモアは無言で頷き、元のポジションに戻って行く。

「セットアップは迫力充分だと思うかい?」スピルバーグが後ろから怒鳴る。汚れに汚れた顔のサイズモアが笑って答える。「ああ、良い線行ってるよ。この映画は、全編恋愛コメディーみたいなもんだ。」

もちろん、恋愛コメディーどころではない。 "Saving Private Ryan"のための細部にわたる準備と必要な機材の調達の問題は、本物の軍事作戦さながらだった。

第一の問題は、撮影場所をどこにするかということだった。制作担当のイアン・ブライスは、英国とフランスにロケハンを行ない、最終的に英国に決定した。かつての航空機の工場が、仮設スタジオの用地としての条件を全て備えていたからだ。オーナーのブリティッシュ・エアロスペースは、当初難色を示したが、ブライスは、英国の国防省とかけ合って、映画製作は、工場の閉鎖で沈滞しているハットフィールド地区の地元経済に、貴重な財政収入をもたらすことを強調して、合意を取りつけた。

英国についての唯一の問題は、D-Dayの上陸シーンの撮影に適したビーチが全く無いことだった。プロダクション・デザイナーのトム・サンダースは回想する。「姿の良いビーチはあるのだけれど、そこに行くための道路が無かったり、上陸用舟艇を停泊させるための港が、一番近いものでも15マイルも離れていたりして、結局だめだったんだ。」

そこで、最終的には、アイルランドで上陸シーンを撮影することで、プロデューサー達は合意した。ダブリンの南の、ウェックスフォード郡のビーチである。アイルランド政府が、数百人の予備役の兵士をエキストラとして提供したことも、この決定の大きな要因となった。

アイルランドは、気候的にも、ロケ地に適していた。1944年6月6日のD-Dayの時点の天候は、曇りだった。サンダースは語る。「断然、曇りでなければならないと思った。晴れだったら、ピクニックみたいに見えてしまうからね。アイルランドなら、曇りになる確率が一番高い。結果的に、充分すぎるくらいの曇りになったよ。」

おり悪く、撮影開始の1週間前に到来した嵐で、ビーチに敷設された障害物の3分の2が破壊されてしまった。撮影クルーは、ドイツ軍がノルマンディーのビーチに敷設した 、地雷付きのものと同じような大量の木製障害物を砂地に埋め込んだのだが、それらの多くが、固定が不充分だったために流されてしまったのである。結局、撮影前に、コンクリート製の土台を使って2度固定しなおすことになった。

エキストラ達は、ウェックスフォード大学のキャンパス内に設置されたテントに寝泊まりしたが、それ以外に、映画製作に参加した、総勢500名に上るキャストとクルーが、周辺の宿泊可能な施設の大半を占領した。

これだけの大所帯になると、群集コントロールも複雑を極める。再びブライスの回想。「 朝になると、全員が、我々がソーセージ・マシンと呼んだ施設に誘導されるんだ。まず初日はヘアカット、メイクアップ、衣装合わせ、小道具の配給と進んで、最後に使用する武器を渡されて訓練に入る。これを全部終えて、2時間以内に750人の人間をセットに送った。」

「まるで、陸軍の需品係の将校になったような感じだったわ。」 衣装デザイナーのジョアンナ・ジョンストンは回想する。「男達が整列するでしょう。私はユニフォームの山の前に立って、 あなたはサイズ44くらいね、はい、これ。次の人!というわけ。幸い、サイズが違うとか言う苦情は無かったわ。」

軍装品の調達は、比較的容易だった。但し、ドイツ軍のハードウェアは、戦後、多くが廃棄されていたので、少し骨が折れた。ブライスが回想する。「本物そっくりのドイツ軍の装備は、プライベート・コレクター達から買い取ったよ。買い取って、使用後に売る方が、借りるより手続きが簡単だからね。」

武器調達担当のサイモン・アザートンは、ピストルなどの小火器から重機関銃に至るまでの、500点の武器を見付けなければならなかった。バズーカ・ロケット・ランチャーについては、本物の確保ができなかったため、新たに作らなければならなかった。

彼は、アメリカから弾薬を持ち込むのにも苦労した。英国政府は、スコットランドのダンブレンで、精神障害を起こしたガンマンによって15人の生徒達が射殺された事件以来、小火器の輸入を制限していたからである。北アイルランドの慢性的な政情不安も、ウェックスフォードへの武器類の搬入を難しくした。

「武器が港に届いて、撮影現場に持って行くぎりぎりのタイミングで、書類や許可証が届くんだよ。アザートンは語る。「とにかく、我々は考証はかなり徹底的にやったからね。例えば、この映画は、第二次世界大戦ものとしては、正しい形式のM-1カービンを
大量に使用した最初の映画になると思う。 殆どの戦争映画は、60%正確といったところだけれど、我々は、90%は正式なものを用意した。これは悪くないよ、だって本物の武器は、もう、50年から60年は経ったものばかりなんだから。」

ジョンストンも同様の問題に直面したが、彼女の場合、問題のスケールはもっと大きかった。映画の製作が始まった当時、彼女は、必要なユニフォームの大半は、映画用衣装の会社から入手できると考えていた。「ところが、そうではなかったのよ。」彼女は回想する。「ドイツ軍のユニフォームが無いの。落下傘兵のものも皆無。歩兵のにしたって、少ししかなかった。だから、必要な3,500着のユニフォームの75%を新調することになったわ。」

彼女は、米国中西部にある、第二次大戦中のGIのブーツを全部製造したある会社を探し出した。この会社には、オリジナルの型がまだ残っていた。アメリカ兵が好んだ、履き心地の良いゴム製の底も残っていた。この会社は、彼女の要望に応えて、2ヶ月間に1,700足のブーツを新しく作ってくれた。

「本当に、こんなにテクニカルな仕事になるなんて、夢にも思わなかったわ。」ジョンストンは回想する。「大学に、軍隊のユニフォームについての3年間の学位課程があったとして、それを2週間でこなすみたいなものね。皆、信じられないくらい詳しくて、間違いがあるとすぐに指摘されるの。だから私としても、できるだけベストのものを作るために頑張ったわ。結局、実戦に参加した軍人の人達が、セットに来ていて、彼等がこれは本物だねって言ってくれたから、 正直ほっとしたわね。だって、最初は、女には軍装は分からないって皆が考えていたから。」

トム・サンダース (彼は、スピルバーグのモHookモで、 Never-Never Landのセットを制作した)も、ラメールの村のセット作りでは、真実性に徹底的に拘った。「フランス中の村を廻って、建築的な真実性を固めるための資料集めをやったよ。」彼は5週間かけて、全ての建物を作り込んだ20フィートX10フィートの村の模型を作った。「それから村を爆撃したんだ。つまり、ナイフで村全体を切り刻んだんだ。」

サンダースは、爆撃で壊された家々の内部を見せる決心だった。「往々にして、アメリカ人は、戦争の実態から目をそらそうとする。実際、決定的に惨いものだからね。人々の大切な所持品がこうしてむき出しにされることで、戦争の悲惨を感じさせられるのではないかと思う。」

兵士達が本物に見えるようにするには、誰かが俳優達を訓練しなければならない。そこで一歩前へ進み出たのが、米海兵隊の元大尉、デール・ダイだった。22年間海兵隊に勤務した後、ダイは、俳優達に軍人らしい話し方と振る舞い方を訓練するプロとしての活動を続けてきた。最初に関わったのが、オリバー・ストーン監督の「プラトゥーン」で、以後はこれを本職として今日に至っている。

ハンクスと、ミラーの部隊の兵士達を演じる俳優達は、6日間の間、ダイに引き渡され、野外生活を共にした。キャンバスのテントの中で眠り、厳しい訓練を消化させられた。

「まず、本名の使用は一切認めない。」長身、日焼けして浅黒く、きびきびとした身のこなしのダイは語る。「役の名前だけを使う。俳優達の心境を登場人物の心境に合わせなければならないからね。彼等のエージェントの思惑や、俳優としての格付けなどは
無視する。そういったことに気をとられて、専用トレーラーでヘヤー・ドライヤーで髪を整えるようなメンタリティーを温存すればするだけ、僕からこっぴどくやられることになる。」

ダイは、意識して肉体的に俳優達を追いつめたことを認める。「そうやって、単なる一兵卒のレベルに落とす。すると、もはや自分自身のイメージなど通用しないのだということが分かる。それが分かれば、軍隊の序列の底辺で錆びたライフルだけが頼りの一介の兵士が誕生するんだ。」

「実際、出演者の誰もが、想像していたより遥かに肉体的に過酷だと感じたようだね。ただ野外で暮らして、テントで眠って、鳥や蜜蜂かなんかを見て、銃を何発か撃てば終わりだろうと思っていたふしがあるが、それは間違いだ。毎日、夜明けと共に起床して、3マイルから5マイル走る。それから、軍隊の色々なことを教えたが、その間も、常に肉体を酷使させた。」

ダイは、俳優達は皆、軍隊の規律の現実を経験する必要があると信じている。「軍隊の規律は、その中で生きてみないと分からない。分からなければ、軍人を演じることなどできない。規律を知らないと、ばかばかしいくらいに滑稽な兵隊ごっこしかできない。自分が関わった以上、そんなことは許容できない。そんなことを許したら、実際に戦った者達を侮辱することになる。」

ハンクスは、すでに、 "Forrest Gump."のベトナム戦争のシーンの撮影で、デール・ダイ経験を味わっている。(「トムは、どうしたら自分に尻を蹴られないで済むか、良く分かっているよ。」ダイは簡潔にこう語っている。)

「僕達は皆、疲れ果て、寒さに震え、みじめで、一日も早く故郷に帰りたい男達を演じているんだ。」ハンクスは語る。「皆に代って誓うけれど、ダイとの6日間の間、僕達は皆、疲れ果て、寒さに震え、みじめで、一日も早く家に帰りたいと願っていたよ。実際の撮影の方が、訓練よりも楽だったものね。あの訓練は、結果に出ているよ。気付かないようなところに、確かに出ている。今なら、僅かな時間でも地面に横たわって、20分間くらい仮眠をとるというのがどんなものか、皆分かるもの。」

セットに居る者の中で、決して眠ったりしないのは、スピルバーグである。しかし、一番睡眠をとる権利があるのは、実は彼かもしれない。彼は、 "Lost World"と "Amistad."に続いて、3本目の映画を、休む間もなく撮っているのだ。スピルバーグは、日中、 "Saving Private Ryan" の撮影と編集を同時にこなしながら、夜は、 "Amistad" のポスト・プロダクションの作業に取り組んでいるのである。

バーンズによると、20歳代で体力十分のマット・デモンが、まる一日、スピルバーグと行動を共にしてみようと試みたが、昼食の頃までにくたくたになって、諦めたとのことである。

スピルバーグは、こうした話を聞くと、子供っぽい笑顔を浮かべて応える。「追いつめられるのがわりと好きなんだよ。僕は、どこかがおかしいのかもしれないね。」とは言いながらも彼は、同時にいくつものプロジェクトに取り組む姿勢そのものについては、頑固に自分の信念を守る。

「こうした仕事のやり方は、時間が経てばかえってやり易くなるんだ。僕自身、気に入っているやり方でもあるしね。それに、ハリウッドの最盛期の頃の監督達だって、似たようなやり方で映画を作っていたのではないかな。例えば、ジョン・フォードは、年に4本の映画を撮っていたからね。」

「彼とは、個人的な付き合いはあったけれど、どんな映画作りをしているかは知らなかった。」ハンクスは語る。彼とスピルバーグは、年来の友人だ。「 今度一緒に働いて分かったけれど、スティーブの周りの人達が、彼がやりたいことなら何でもやれるような場をいつも提供しているんだね。」

「そして、ここで彼がやりたいこと、彼のこの物語についての哲学とでもいうかな、それは、とにかく早く撮影するということなんだ。だから、この映画の殆どは、殆ど2つか3つのテイクだけで撮影されている。」

そうなると、"Saving Private Ryan" がどんな映像の世界を生み出すのかを想像することは不可能ではなかろうか。ハンクスは答える。肩をすぼめながら。「そうだね。でもね、戦争映画だっていうことは確かだ。ということは、我々がどのようなアプローチをとろうと、どんな手法で作ろうと、結果としてどの世代の観衆にとってもそれぞれ何かを感じることのできる映画になることは間違いない。」

「それと、これだけは言えるけれど、"Saving Private Ryan" が、今まで誰も見たことのないような最高の戦争映画になることは間違いない。」

 

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