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SPRの鑑賞のために。(By ジェイ)

SPRのストーリーは、皆さん、すでにご存じでしょう。しかし、この映画は、かなり奥が深く、事前に情報を頭に入れておくと、観たときの楽しみが、より大きくなります。そこで、ここでは、僕なりに、ストーリーのポイントと、映画の見所をまとめて、皆さんに提供します。「いや、僕/私は、予備情報無しに、まず直接映画を観てみたい」と思われる方は、読まなくても結構です。それも、一つのアプローチの在り方ですから。

1. ストーリーのポイント

・ノルマンディー上陸作戦

・ライアン一等兵救出作戦

2. 映画の見所

・ オマハ・ビーチ上陸シーンと最後の武装親衛隊との決戦シーン

・ ミラーの分隊の人間模様

・ 武装親衛隊

・ 軍用車両、武器等

・ 戦闘の真実性

・ SPRノベルと、脚本草稿との関連性

・ 劇場公開版に使用されなかった映像


1. ストーリーのポイント

・ノルマンディー上陸作戦:

ノルマンディー上陸作戦は、第二次世界大戦の欧州戦線の勝敗の行方を決定的に左右した、史上最大の上陸作戦でした。1939年以来、破竹の勢いで欧州に勢力を拡大してきた、ヒトラー総統率いるナチス・ドイツの意図は、一言で言って、「世界制覇」でした。その構想は、まず、西ヨーロッパとアフリカをその傘下に収めた上で、ロシア、当時のソヴィエト連邦を制服し、石油、石炭、鉄鋼、農産品など、その豊富な天然資源と、膨大な奴隷労働力を確保し、西欧から中央アジアに至る、「第三帝国」を構築するというものでした。この構想の根底には、支配民族としてのドイツ人という自己認識があり、ドイツが、無知蒙昧な他の人種を支配することは、神から与えられた神聖な義務だと考えられました。

この自己認識は、一般大衆向けの大々的なプロパガンダと、青少年向けのヒトラーユーゲントにおける教育活動を通して、全ドイツに徹底的に浸透させられていました。SPRのストーリーのクライマックスとなる、フランスの架空の村、ラメールでの戦闘に登場する、武装親衛隊「ダスライヒ」師団は、ドイツの軍隊の中でも、こうしたナチスの世界制覇構想と、支配民族としてのドイツ人の絶対的な優越性を確信すると共に、肉体的にも鍛え抜かれた、エリート師団です。

さて、ナチス・ドイツの世界制覇構想は、その圧倒的な軍事力と、ブリッツクリークを始めとする斬新な戦術技術とが相俟って、着々と進行しましたが、ロシア進攻 を契機として、足踏みをするようになります。「バルバロッサ作戦」と呼ばれた、このロシア進攻は、ドイツの軍事力と生産力の大半を拘束するようになり、消耗戦となりました。しかし、ロシアの天然資源と労働力の確保無くしては、引き続き西欧とアフリカを支配し、更に世界を制覇することは不可能でしたから、ドイツは、ロシア戦線から撤収することができませんでした。第二次世界大戦の開戦当初から、ヒトラーと彼の首脳陣は、2つの大きな戦線を同時に展開することだけは避けたいと考えていました。ロシアの制服が完了するまでは、ドイツ国内の資源と労働力だけが戦争努力の支えであり、東部(ロシア)戦線に加えて、西部戦線でも有効な戦いを展開することは、物理的に困難だった からです。ヒトラーにとって、英国は、その気になればいつでも踏み潰せる小国でしたが、問題は、米国でした。米国が欧州戦線に本格的に参戦することは、何とか避けたかったのです。その資源と生産力が、反第三帝国の戦争努力に加えられれば、戦争の勝敗の行方は分からなくなります。

しかし、この点について、ヒトラーは、米国が本格的に欧州戦線に参加してくることはないと思っていたふしがあります。また、仮に参加してきても、自由主義社会に生まれ育った、軟弱で堕落した精神構造を持った米国の軍隊の進撃を何とか食い止めることは可能だとも思っていたようです。この考えの背景には、太平洋戦線において、日本軍が、当初、英米の勢力を呆気なく討ち破った事実が大きく影響していたものと思われます。

しかし、ソ連のスターリンは、ヒトラーのそうした考え方はロマンチックな夢想に 過ぎず、米国が本格的に欧州戦線に進出して、新たに第二の戦線を展開すれば、東部と西部からドイツを挟み撃ちにして、最終的にこれを討ち破ることができると確信し、当時の英国のチャーチル首相と、米国のルーズベルト大統領に、強硬に「第二戦線」の展開を要求し始めました。

英国も米国も、スターリンのこの要求が、「戦略的にみて」もっともなものであることは理解していましたが、「政治的にみると」、西部戦線を開いて、ドイツの戦力を二分させれば、ソ連が東欧に進出し、共産主義勢力が拡大する結果になるのではないかという危惧から、なかなか決断が下せませんでした。この状況を察知したヒトラーは、英米が西部戦線を開く前に、徹底的にロシアを叩いて、降伏させるか、あるいは、ロシアが、これ以上の損失に耐え切れなくなっ て、ドイツとの和睦を求めるようにさせるか、どちらかの状況に持ち込もうとして、ロシアに対する攻撃を一層強化し始めます。この展開を観て、どちらに転んでも、自由主義圏のためには、耐え難いほどの不利になると判断した英米は、ヤルタ会談において、スターリンの要求に応じて、「第二戦線」を開くことを決意します。

こうして、西ヨーロッパに、第二戦線が開かれることは、確実となりました。問題は、そのための連合軍の上陸作戦が、いつ、どこで行われるかということの一点に絞られました。ヒトラーは、北欧からオランダに至る、西ヨーロッパの海岸線に、長大な防衛線、「アトランティック・ウォール」を構築することを決定し、ロンメル元帥にその実行を命じました。

当時、ドイツ軍の精鋭部隊は、その殆どがロシア戦線に投入されており、いかに名将ロンメルと言えども、短期間に強力な防衛線を築くことは、物質的にも、労働力の面でも、無理な相談でしたが、彼は再三ヒトラーに懇請して、トーチカ、機関銃陣地、塹壕網などを海岸線に張り巡らすと共に、ビーチには、無数の障害物や、400万発を越える地雷を敷設するなどして、できる限りの防衛体制を轢きました。しかし、兵員の方は、圧倒的に不足しており、老人や少年の徴収兵、それに、ロシア、 東欧、果ては韓国に至る多国籍の兵員を陸軍に編入し、ドイツ軍将校が背後で銃を構えて、命令に背く者はいつでも射殺するという体制で防備に当たらせました。

連合軍側は、事前の情報収集活動を通して、こうした、ヒトラーのアトランティック・ウォールの実態をある程度承知していました。そして、ドーバー海峡を挟んで、英国から最短距離にある、パレ・ド・カレーを上陸地点と想定したドイツ側の裏をかいて、一番距離の離れた、ノルマンディー地区に上陸することを決定しました。当初の作戦構想では、事前の航空機による爆撃と、艦砲射撃によって、海岸線の防衛施設をあらかた破壊した上で、上陸部隊を送り込み、比較的柔弱な守備部隊を駆逐して、内陸進攻のための拠点を確立することになっていました。しかし、ここに、誤算があったのです。

まず第一に、事前の爆撃と艦砲射撃は、海岸線の防衛施設の破壊に、殆ど効果を発揮しませんでした。ドイツ軍の殆どの施設と兵力は、無傷のまま残ったのです。第二に、オマハ・ビーチの守備隊は、ドイツ陸軍精鋭の第352部隊が主力として交代して配備されていたのです。この2つの誤算により、SPRの主人公である、ジョン・ミラー大尉率いる米第二レンジャー部隊を始めとする上陸部隊は、全滅寸前の大損害を蒙ることになります。つまり、SPRの冒頭25分間に描かれる、オマハ・ビーチ上陸をめぐる戦いは、ノルマンディー上陸作戦の戦いの中でも、最も血なまぐさい、凄惨なものでした。

・ライアン一等兵救出作戦:

SPRの題名にもなっている、「プライベート・ライアン」、つまり「ライアン一等兵」は、米陸軍の第101空挺隊所属の兵士です。第101空挺隊は、第82空挺隊と並んで、ノルマンディー上陸作戦が決行された「D-Day」の前夜に、ノルマンディーの海岸線の内陸部に降下しました。作戦上の段取りとしては、まず、彼等空挺隊が、内陸の河川に掛かる橋など、連合軍上陸後の内陸進撃のために重要な戦略拠点を急襲・占拠し、上陸軍の到着までこれらを確保するということになっていました。しかし、この空挺隊の降下は、ドイツ軍の対空砲火による、兵員輸送機の編隊の混乱により、降下地点を大きく外れ、所謂「ミス・ドロップ」の連続ということになってしまいました。当然、兵員の損失も多く、ライアン一等兵も、その生死すら分からないという状況でした。

米軍首脳部が、なぜ、ライアン一等兵という、たった一人の兵士を救出するために、ミラー大尉率いる8人の分隊を敵地の奥深くに侵入させたか、その動機については、皆さんは、すでにご存じでしょう。まだご存じでない方は、この、SPRコーナーの「Story」のコラムの中にある、「プライベート・ライアンの夢」という記事を、 是非、お読みになって下さい。とにかく、ライアン一等兵救出作戦は、「実際に起こった出来事に基いて」組み立てられた、「架空の物語」なのだということだけを頭に入れておいて下さい。実際には、行方も生死も分からない一人の兵士を救出するために、8人もの兵士を敵地の奥深くに送り込むという作戦は無謀過ぎて、多分 実行されることはないと思われます。しかし、このストーリー設定は、スピルバーグ監督が皆さんに伝えたかったメッセージを浮き彫りにするために必要だったのです。名作と呼ばれる小説などがそうであるように、事実から離れて架空の物語を語ることによって、更に奥の深い真実を語ることは、それが真摯な姿勢で行われる限り、充分に許されることです。SPRには、後でお話するように、D-Dayの史実とは異なるエピソードがいくつか出てきますが、それらも、映画という表現形態の中で、充分に許される範囲のものであると、僕は思います。大きな絵を見ずに、細部の間違いを、重箱の隅をつつくように探すことを、英語では、「nit-picking」と言いますが、それを始めたら、SPRを充分に味わうことはできないでしょう。

「ストーリーのポイント」として、映画を観る前に頭に入れておくべきことは、これくらいですが、念のため、まとめてみます。ノルマンディー上陸作戦がなぜ決行されたか、その経緯は分かってもらえたと思います。SPRの物語がスタートする、オマハ・ビーチ上陸が、D-Dayの戦いの中でも最も凄惨なものであったことも分かってもらえたでしょう。オマハ・ビーチの惨劇を、やっとの思いで生き残った、ミラー達が、たった一人の「プライベート・ライアン」を救出するために、自分達の命を危険に曝して立ち向かわなければならないドイツ軍が、どのような敵 であるかも分かってもらえたでしょう。これらを頭に入れて、SPRを観れば、次のような大きなテーマが見えてくるでしょう。

戦争の狂気と恐怖。その実態はどういうものなのか。
戦争の中で、人間らしさを守ることはできるのか。
平和とは、どういうものなのか。
勇気とは、どういうものなのか。

2. 映画の見所:

・ オマハ・ビーチ上陸シーンと最後の武装親衛隊との決戦シーン:

両方共、映画史上、最もリアルで、最も生々しくて、最も劇的な戦闘シーンです。映像と音が、皆さんの理性にではなく、感性の生理的なレベルに、直接訴えかけてきます。この2つのシーンを観た後では、「戦争映画」を観る観点が、根本的に変ることは間違いありません。

・ ミラーの分隊の人間模様:

ミラー大尉とホーヴァース軍曹、それに衛生兵のウェードは、アフリカ、イタリアと転戦してきたメンバーです。従って、彼等3人の間には、特に深い絆があります。特に、ミラーとホーヴァースの間の相互信頼は、揺るぎのないもので、分隊を一つに固める力を持っています。

その他の5人の顔ぶれは、次のようになっています。

ライベン一等兵 −ブルックリン出身の生っ粋のニューヨーカー。実家の家業は、女性のランジェリーの店です。常に減らず口をきいていますが、性格はストレートで、嘘の無い青年です。彼は、「コンバット!」のカービーと同じように、B.A.R.(ブローニング・オートマチック・ライフル)の使い手です。

ジャクソン一等兵 − 南部出身。郷里で狩猟をしていたため、射撃の腕前が凄く、スコープ付きのスプリングフィールド・ライフルを相棒に、超人的なスナイパーとして活躍します。狙撃するときには、いかにも宗教心の強い南部出身の青年らしく、必ず聖書の一節を引用します。

メリッシュ一等兵 − ユダヤ系の青年。分隊の中でただ一人口髭をたくわえ、どこか虚無的な、内省的な雰囲気を漂わせる若者です。感受性も、内に秘められていますが、人一倍強いものであることが伺われます。8人の中では、比較的控えめな性格で、余り目立ちませんが、注目して観ることをお勧めします。

カパルツォ一等兵 − イタリア系の大男の青年。タイプとしては、「コンバット!」のリトルジョンを、性格をもう少し骨太にしたような人物です。8人の中では、一番人情味の強い男でしょう。

アッパム伍長 − 彼は、ミラー大尉の分隊の中で、ただ一人、第二レンジャー部隊に所属しない兵士です。第27歩兵大隊で、情報処理を担当していたインテリの青年で、専門は、ドイツ語とフランス語の翻訳です。内陸に侵入するということで、通訳として、ミラーの命令で分隊に加わります。実戦経験は全く無く、8人の中では、我々観衆に一番身近な存在でしょう。

ライアン一等兵 − 彼は、ミラーの分隊の一員ではありませんが、SPRの物語の一つの核になる存在です。アイオワ州の農家の5人兄弟の末っ子で、田舎ですくすくと育った、健康的な若者です。正義感と義務感も強く、戦友達に対する友情と忠誠心も充分に持っています。ある意味では、第二次世界大戦で戦った米国の兵士の一つの象徴的な存在だと言えるでしょう。彼は、全ての米兵にとって、弟であり、戦友でもあるのです。従って、彼を救うことは、最終的には、自分を救うことにもつながっていきます。ライアン一等兵は、戦争という、最大の不条理の中における、人間らしさへの鍵、希望を象徴しています。

・ 武装親衛隊:

SPRに登場する武装親衛隊は、第2SS装甲師団、「ダスライヒ」です。彼等は、早くとも6月末までは米軍と衝突していません。ミラーの分隊がライアン一等兵救出の命令を受けるのは、D-Day、6月6日の3日後、架空の村、ラメールで、武装親衛隊と戦うのは、6月13日ですから、SPRにおける、この最後の決戦のエピソードは、史実を離れて、上陸作戦とは異なる、内陸での市街戦の実態を見せるための創作ということになります。しかし、武装親衛隊は、ヒトラー・ユーゲントの頃から、第三帝国の信念を徹底的に教育され、ロシア戦線で叩き上げられてきた、「プロの兵士」の集団であり、戦うことそのものに意義を認める男達で、その彼等が、ミラー大尉に率いられた、平凡な青年としての考え方や倫理観を失わない「市民兵士」達と戦うことで、戦争の実態が、一層明らかに浮き彫りにされます。

そうした、象徴的な意味合いを別にしても、SPRに登場する武装親衛隊の迫力とリアルさは、これまでのどの戦争映画にも見られなかったものです。兵士達の身のこなし、仲間が死んでも全く意に介さずに戦いつづける旺盛な戦意、折々に聞こえる、ドイツ語の鋭い響きなど、戦争映画ファンやドイツ軍ファンには、目を見張る「出来栄え」です。ユニフォームは、全てこの映画のために、寸法、カモフラージュのパターンなど、本物と寸分違わずに作られており、兵士達の表情も、まぎれもなく、ドイツ軍の記録写真に登場する、あの表情そのものです。

・ 軍用車両、武器等:

米軍のMIガーランド・ライフル、トミーガン、コルト・ガバメント・ピストル、スプリングフィールド・スナイパー・ライフル、ドイツ軍のタイガーI型(ソ連のT-34/85改造)、マーダーIII型(本物1台とチェコの車両の改造1台)、ハーフトラック(本物)、オペル・ブリッツ(本物)、ケッテンクラート(本物)、20mm機関砲(本物)、MG42、シュウマイザーMP40、モーゼルKar98ライフル等々、ミリタリー・マニアには、もう、こたえられないほど、見所一杯です。特に、個々の軍用車両、武器の使われ方がリアルで、それぞれ作動音や動作が正確に描かれているところは、見事としか言いようがありません。

中でも、T-34/85改造のタイガーI型は、改造車としては絶対にこれ以上は望めないほどの出来栄えです。余り見事なので、改造不可能な、T-34の車体下部の起動輪、転輪、キャタピラなどのオリジナルの部分がかえって目立つという、皮肉な結果になっていますが、これに目が行くというのは、僕のようなミリタリー・モデラーの因果な性分でしょう。それでも、前進してくるタイガーを斜め前や上から見た姿や、88mm砲が咆哮する場面の凄まじさなどは、大したものです。

また、MG42にしても、特に、冒頭のオマハ・ビーチのシーンでは、その凶暴な威力が十二分に実感できます。

SPRにおける軍用車両、武器等の使われ方、考証の正しさは、僕の目から見た限り、ほぼ満点に近いものだと思います。

・ 戦闘の真実性:

オマハ・ビーチの上陸シーンについては、何も言うことはありません。最後のラメールの村での戦闘シーンについては、米軍が強すぎるのではないかと感じる方も居るでしょう。しかし、ミラーの分隊は、アッパムを除く7人全員が、17週間にわたる猛烈な特訓を受けたエリートのレンジャー部隊であること、また、彼等に合流する米空挺隊員達も、一般の歩兵とは異なる精鋭部隊であることを考えると、全く無理の無い展開になっています。対戦車戦の描写にしても、荒唐無稽な英雄的な描写はありません。武装親衛隊の兵員数は、ほぼ50名で、米軍側は、ほぼ2対1の劣勢ですが、ラメールの村の建物や地形を最大限に活用して、砦のように使っており、無理の無い戦闘描写になっています。

因みに、ドイツ軍における兵員の精鋭度をランク付けすると、トップは、戦車兵および降下猟兵で、武装親衛隊はこれに続くものとして位置づけられています。米軍で言えば、レンジャー、空挺隊と、一般歩兵の中間に位置する、特殊な武装集団だと言えるでしょう。損害を意に介さずに、徹底的に戦い続けるところが、状況によっては撤退も考慮する、一般の陸軍部隊とは異なるところです。

・ SPRノベルと、脚本草稿との関連性:

映画は、ノベルとほぼ同じストーリー展開です。従って、ノベルを読めば、映画のあらすじは分かります。しかし、個々のエピソードは、映画とノベルでは、少し異なっています。また、ノベルには無くて映画にはあるエピソードや、逆に映画には無くてノベルにはあるエピソードもいくつかあります。これは、スピルバーグ監督が、撮影をしながら、脚本に変更を加えていったためで、結果として、映画は、ノベルを遥かに上回る奥の深さを持ち、ノベルよりずっとエキサイティングな仕上がりになっています。

SPRコーナーの「Story」のコラムに掲載した、脚本草稿は、出来上がった映画とは全く異なっています。特に、ミラー大尉の発言は、スピルバーグ監督と、トム・ハンクスの意向で、完全に変えられています。ですから、脚本草稿の内容については、映画を観る前に、頭から消しておくか、まだお読みになっていない方は、読まない方が良いでしょう。

・ 劇場公開版に使用されなかった映像:

これは、「見所」からは外れますが、SPRは、劇場公開版の上映時間を、商業的に見合う3時間の枠内に抑えるために、かなりの映像をカットしていることは間違いないと思われます。これまでに発表されたスチル写真をご覧になった方がすぐ気付かれるのは、海上を行く上陸用舟艇が被弾して爆発するシーンと、シャーマン戦車をまじえた上陸シーンが、劇場公開版には出てこないことでしょう。

これらのカットされた映像は、将来、SPRのビデオが発売されるときに、劇場公開版とは別に、「ディレクターズ・カット」版に加えられるかもしれません。僕としては、できるだけ多くの映像を復活させて、「メイキング・オブ・セービング・プライベート・ライアン」なども加えた特別編集版を、是非とも発売してもらいたいと希望しています。

以上、ネタばれにならない範囲で、SPR鑑賞のための準備メモをまとめてみました。SPR日本公開まで、あと1ヶ月余り。皆さん、大いに期待して下さい。ご覧になれば分かりますが、「戦争映画」の概念を根本的に塗り替える、真の傑作です。

ジェイ

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