Cross of Iron の Iron Cross (鉄十字章)
ドイツの軍人の象徴ともいうべきこの十字章は、1813年プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世によって対ナポレオン解放戦争時に制定されて以来、1870年(普仏戦争)、1914年(第一次世界大戦)そして1939年(第二次世界大戦)とプロイセン王国及びドイツ帝国の主要な戦争ごとに復活(再制定)してプロイセン/ドイツ軍人の胸を飾ってきた。
この鉄十字章の特徴はいわゆる勲章とやや趣を異にする「戦功章」ということにあり、たとえ政治指導者等の高官また将軍であっても、戦場において著しい勇敢な行為や卓抜した指導力を示さない限りは決して授与される事がなかった。総統アードルフ・ヒトラーが第一次大戦で兵士(兵長)として獲得した鉄十字1,2級(1914版)を生涯身に付けていたことがこの戦功章の地位を示していると言えよう。
歴史的背景とあいまって象徴性の高いこの戦功章を望むドイツ軍人の心理から、本作品に出てくるような状況が実際にあったことは想像に難くなく、特にシュトランスキーは先祖代々のプロイセン軍人であってプロイセン伝統の戦功章を希求する心情は格別のものがあったであろう。古い映画で「戦線の08/15」(1955年制作・西ドイツ映画)という作品では最高司令部から鉄十字章獲得のために東部戦線にやってくる大尉というシュトランスキーに良く似た設定の人物が登場しているが、これは似たようなシチュエーションの物語が他にもあったことを想像させる。
1939年9月1日、まさに第二次大戦開戦の日に制定された鉄十字章1939の形態は黒く着色された鉄製の44mm×44mm大の銀縁の十字章であり、中心にハーケンクロイツ(鉤十字)、下部に1939の年号が浮き彫りになっている。最下級の2級章はこの十字を両端を黒、中心を赤、その間を白とした幅30mmのリボン(綬)で吊り下げているものであるが、戦場及び通常勤務時では本作品に見られるように上着の第二ボタンホールに綬のみを斜めに縫い付けるか、小型のリボンである略綬を左胸ポケット上に付けているのが普通である。1級章は裏面の太いピンで左胸ポケットに取付するもので、劇中でシュタイナーが自分のものを外してシュトランスキーに渡すシーンを思い浮かべていただければ幸いである。
この鉄十字章が初めて授与される場合は2級、更なる武功によって上級の1級章を受けるのが通常であるが、希に1級、甚だしい場合は更に高位である騎士鉄十字章を初叙される場合があり、その際は下級の鉄十字章を同時に受章したということである。シュトランスキーの申請に対して認可されるのは2級なのだろうか。それとも1級なのだろうか。
第一次大戦における鉄十字章1914の受勲者が第二次大戦において更に同級章を授与された場合は、再受章を示す銀の飾版を同時に付けることが決められていた。本作品でブラント大佐の左胸の1級章の上に見える銀色の小型の鷲章がそれであり、彼が第一次大戦以来のヴェテランであることを示している。この場合1級章自体は1914年版を付けているはずである。
第二次大戦では、この1級章の上位に騎士鉄十字章というやや大型の十字章(48cm×48cm)をリボンで首にかける形の鉄十字章が5級に渡って制定され、更にヘルマン・ゲーリング国家元帥唯1人が受賞者である大十字章が最上位に来たため、鉄十字章1,2級の相対的地位は第一次大戦におけるものより低下したようで2級章に至っては約230万個が授与されたと言われているが、やはり大戦を通してドイツ軍人の武勇の象徴として存在しつづけたことは事実と言えよう。戦後、ドイツ連邦では1957年にこの戦功章を、鉤十字を1939年以前の意匠と同じく柏葉に置き換えて復活させた。従って第二次大戦における受章者はこの伝統ある戦功章を他の記章類と共に再び着用する権利を取り戻したのであった。
鉄十字章は外国人にも授与され、日本人では野村直邦海軍大将が2級章を着用している写真が残っているし、ドイツに派遣された伊29潜水艦長にも与えられたとのことである。又、在日ドイツ海軍将兵のために駐日ドイツ大使館海軍武官室が発注して製作されたという日本製鉄十字章のことも、ドイツ軍人と不可分の存在であるこの戦功章を語る挿話であるといえよう。
さて、この鉄十字章はドイツ語ではモDas Eiserne Kreuzモ(本作品のドイツ語原題はモSteiner−Das Eiserne Kreuzモ) 又はメEisernes Kreuzモ であるが、英語では通常 モIron Crossモと呼ばれていて本作品の英語原題 モCross of Ironモから鉄十字章を連想することは少ないと思われる。ペキンパーはこの題名にどんな思いを込めたのであろうか。
シュタイナーが付けている他の記章であるが、左ポケット上に付けている大きな横型の金色の記章、実はあれが大変意味を持っている。一般に「金色白兵戦章」と呼ばれているものであり、これは1942年11月の制定になる戦功章で50日間の白兵戦(原語でNahkampf=近接戦闘)に対して与えられる歩兵最高の顕彰である。授与された数は僅かに536個(一説に538個)。しかも1944年4月以降はこの戦功章の価値を重く見たヒトラーが自身直接手渡すように指示したとされている。シュタイナーの受章はこの日付の前であり、残念ながら彼がヒトラーに面会した可能性はない。このような重要な戦功記章であるため、病院でのシーンで、眩しく光る金色の白兵戦章を付けた軍服の上着を病衣の彼の肩に掛けて彼の勲功を示す看護婦エーファ(エーヴァ)と、モHe has been highly decoratedモと将軍に説明する病院長らしい軍医中佐の言動も納得できる。
マイヤー少尉たち他の記章類にも言及したいのであるが、本稿の趣旨から外れるのでここまでとさせていただくことをお赦し願いたい。
参考: メWorld War 2 German Medalsモ by Chrisotpher Ailsby 1994
(執筆:08/15)
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